諸刃の剣、デザインの分業――デザイナーを持続的に育成する「分業」の扱いかた

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「完璧なクオリティ」が絶対ではない環境

 ところで、アジャイル開発やフィットジャーニーといった、事業リスクや構築費用を最小化する手法やフレームワークが一般的になりました。これはいわば、小さく速く試しながら進める手法。事業開発のリスクコントロールを重視するやりかたです。これは、デザイナーが常に時間と費用をかけ「完璧なクオリティ」を追求する環境が、絶対的なものではなくなったことを意味します。

 検証の意図に即してスピーディーにラフにつくることが正解のときもある。そんなときに、クオリティ重視で細かく分業し時間とコストをかけていたら、周囲の期待とずれた仕事になってしまいます。下手をすると、デザイナーの存在が全体のボトルネックになってしまいます。

 顧客や生活者のニーズがわからない段階では、デザイナーはその発見や検証のためにも、ランディングページをつくったり、営業用の冊子をつくったりと、さまざまな制作物を横断的に対応しなければいけない。クイックにユーザーテストをしたい場合は、文章を書いたり、イラストを添えたりということも必要になりますが、それらを細かく分業していたら、必要以上にコストと時間を消費することになります。

 そして、その過度な分業をデザイナーが正当化してしまったら、「デザインの知見を活かしたニーズ発見や検証」という極めて重要なアクションが、組織内で「過剰にコストのかかるもの」「開発速度にブレーキをかけるもの」という扱いを受けることになります。デザインの分業による負の影響が、プロジェクトを超えて組織にまで波及してしまうのです。

 「スピード重視で手を抜け」「分業をやめてクオリティを犠牲にしろ」ということではありません。大事なのは、目的とスピードとクオリティをバランスする最適解を真剣に考え抜くことです。その際、デザイナーがある程度のスキルの幅を持っていないと、過度な分業を前提に考えてしまう。「制作物のクオリティ」という、考えやすい要素をまず優先してしまう。

 そうならないためにも、自分が置かれる環境と、自分のスキルの幅に整合が取れているかには細かい点検が必要です。狭くて深いスキルだけでなく、広くて浅いスキルが輝くこともあるのです。

業務の成熟過程と分業の発生

 プロジェクト単位を超えて、長期的な視線を向けてみましょう。

 デザイン業務には、ライフサイクルがあります。ここで言うライフサイクルとは、市場に業務が生まれ衰退するまでの一連の流れを指しています。デザインはテクノロジーとの因果関係が強いものです。テクノロジーが進化し、それにより世の中の事業が変化していく。それにともなって、事業を回すための業務やデザインもだんだんと変容していくものです。

 デザイン業務のライフサイクルは、次のように進みます。

模式図。デザイン業務のライフサイクル。導入期(業務自体が新鮮で暗黙知が多く、誰もが試行錯誤にある状態。普及段階のため業務の市場価値も未確定の状態)。成長期(業務の理解が進み、品質と効率化のために体系化や分業化が進む状態。一般に業務の市場価値が最も高い状態)。成熟期(市場の業務の普及が完了し、付加価値の向上に限界が見られ、低価格化が進む。業務の市場価値がだんだんと下がっていく状態)。衰退期(業務が完全に陳腐化し新規参入は起こりづらい。一般的な企業が行うには経済合理性が合わない状態にもなる)。

1.導入期

業務自体が新鮮で暗黙知が多く、誰もが試行錯誤にある状態。普及段階のため業務の市場価値も未確定の状態。

2.成長期

業務の理解が進み、品質と効率化のために体系化や分業化が進む状態。一般に業務の市場価値が最も高い状態。

3.成熟期

市場の業務の普及が完了し、付加価値の向上に限界が見られ、低価格化が進む。業務の市場価値がだんだんと下がっていく状態。

4.衰退期

業務が完全に陳腐化し新規参入は起こりづらい。一般的な企業が行うには経済合理性が合わない状態にもなる。

 たとえば、私が2010年ごろにサービスデザインを始めたときは、日本市場における業務のライフサイクルは「1.導入期」の状態でした。つまり、サービスデザインの「業務自体が新鮮で暗黙知が多く、誰もが試行錯誤の中にあり、普及段階のため業務の市場価値も未確定の状態」です。サービスデザインという単語が普及しておらず、デザインプロセスも整備されていませんでした。日本ではサービスデザインを行う企業がほとんどなかったため、グローバルの知見を学びながら、まさに国内に「導入」をしていた時期です。

 定番のプロセスがなかったわけですから、「よくある分業の形」もありません。常にゼロベースでプロセスを組み立てながら、デザイナー個々人の創意工夫で成果を目指していました。私はサービスデザイナーとして、リサーチも、ビジネスプランニングも、ワークショップも、ビジュアルデザインも、UI デザインも、ユーザーテストもすべて行っていましたが、その状況が普通でした。業務の「導入期」というのは、ある種のカオスでもあります。

 2025年の現在では、サービスデザインを提供する企業も増え、事業会社内でサービスデザインが行われることも普通の光景になりました。「2.成長期」と「3.成熟期」の間くらいに熟した感覚があります。私の周囲でも、サービスデザイナーがすべての業務を担当することは減り、リサーチはリサーチャーが、ビジネスプランニングはビジネスデザイナーが、というように分業が進んでいます。

業務の成熟は合理化も進める

 ロールの分業化は「2.成長期」の段階で加速します。「業務への理解が進み、品質と効率化のために体系化や分業化が進む状態。一般に業務の市場価値が最も高い状態」です。

 業務の市場価値が高いため、実践者が増え、知恵も集まりどんどん高度化していきます。たとえば、デザインシステムのような、属人性を回避し、クオリティを均質化するための仕組みも発展し、初めてその業務に携わる者もスムーズに適合できるようになっていきます。

 それが、業務ライフサイクル「3.成熟期」に完全に移行すると、陳腐化の方向に傾いていきます。「市場での業務の普及が完了し、付加価値の向上に限界が見られ、低価格化の流れが進む。業務の市場価値がだんだんと下がっていく状態」です。

 たとえば、私が20年ほど前に携わっていた雑誌のデザインでは、出版社も含めて機能的分業がかっちりと固まっていました。デザイナーは出版社から対象ページのラフイメージと、画像データを支給される。それをもとにレイアウトし、テキストの文字数を確定させたらライターが原稿を書く、という流れです(レイアウトより原稿が先のパターンもあります)。レイアウトをするデザイナーと、文字を組むオペレーターが分業されていたことも象徴的です。

 私が携わった2000年代なかごろからの10年では、InDesignなどのDTPツールが最新化していくことはあっても、業務全体のイノベーションは起こりませんでした。グリッドシステムをベースにしたエディトリアルデザインの実践法、フォントの運用、出版社や印刷会社との仕事の流れや慣習など、抜本的な業務進行の変化もありませんでした。

 並行して、切り詰めた効率化や固定費の削減といった、出版関連業務の合理化も起こっていきました。デザイナーにとっては、これまで以上に短い時間かつ、これまで以上に安い金額でデザインしなければならない。こういった条件変化がじわじわと進んでいきました。

 ウェブメディアが台頭し、紙メディアのプレゼンスが下がったことが大きな要因であり、それがデザイン業務の市場価値に影響を与えたことが真実でもありますが、それは出版マーケットの視点。デザイナーの視点では、PCやMac、DTPやコミュニケーションツールが進化したことにより、徐々に固定費や物理的制約が減っていき、在宅を中心としたフリーランスの参入が増えていったこと。デザイン業務の裾野が広がり、プレイヤーが増えていったことも、合理化が迫られる要因として働いていました。