分業による硬直化と負のスパイラル
デザイン業務が成熟し、分業が確固たるものになる過程で、当時の付加価値向上に限界がでていた点にも注目したいと思います。
デザイナーが誌面や企画に貢献し、雑誌の商品性を高めることに価値を出すこと。読みやすく魅力的な記事をデザインすること。当時は、このような価値貢献のありかたが成熟し、デザインの現場では、分業が固定化されていました。私もそれがごく普通のことであり、それがデザイナーである自分の仕事だと信じていました。
一方、当時の厳しい市場環境の中で「雑誌の価値を社会流通させるにはどうすれば良いか」といった思考や行動にデザイナーが踏み込むことはほとんどない状況でした。それはつまり、商品から事業へのデザイン対象の拡張。デザイナーが「魅力的な雑誌を作る」以上の付加価値を出せなかったということです。
今ほどデジタル化が進んでおらず、情報も商品も、流通の柔軟性がない時代。当時のデザイナーにとって、ビジネスモデルにまで踏み込むことは、今とは比較にならない難しさがありました。
しかしながら、「デザインの分業」が無意識に思考の幅を規制し、事業の視点で付加価値を生まなかったこと。デザイナーの間で「誌面の読みやすさや美しさ」といった限定的な範囲でしか価値の競争が起こらずに、業界課題に向けた本質的な付加価値に盲目的だったこと。この現象は現代のデザイナーにとっても教訓となるはずです。
当時の自分にそんなことを言っても、「考える余裕なんてあるわけないだろ!」と、怒りの返答をぶつけるでしょう。そうです。余裕がまったくないのです。時間的にも、気持ち的にも。ひいては、経済的にも、商流的にも。
業務の成熟期では、分業体制がカチコチに固まります。よりいっそう合理化が進みます。そして、成熟期がさらに深まっていくと、その合理化がデザイナーを苦しめていきます。合理化は「誰でもできる」形に参入障壁を溶かしていきます。そうして、業務の市場価値が下がっていくと、デザイナーは多忙さの負のスパイラルに陥っていきます。市場価値が下がると、それまで以上に時間をかけて数をこなさないと生活が成り立たない。時間がなくなってくると、非連続な付加価値を構想する余裕があらゆる面でなくなっていく。思考の硬直化も進んでいくのです。
かりそめの現象として捉えるべき分業
業務の成熟による合理化に限界をきたし、クタクタになる。そこで、デザイナーが「導入期」や「成長期」の別の仕事に移行したいと思ったとします。それでも、分業化された業務に慣れすぎ、スキルも思考もマインドセットも分業に適応しすぎてしまっていては、リスキリングに苦労することになります。
今は、デジタルプロダクト開発が活況であり、人材市場も売り手市場が続いています。しかし、テクノロジーの進化とともに業務ライフサイクルは確実に歩みを進めています。AIの普及を例にあげるまでもなく、今取り組んでいる仕事は確実に陳腐化します。
「機能的分業」は、デザイン業務のライフサイクルが移り変わるなかの、かりそめの現象でしかありません。分業は、業務の「成長期」に現れます。「成長期」にはデザイナーに利するものであっても、それが成熟する過程の中でだんだんと毒になっていきます。
分業体制を敷くにしても、長い目で見れば、それはあくまで一時的なものと捉えるべきです。「チームや組織」の単位で分業体制を反映したとして、ライフサイクルによってそれが陳腐化してしまえば、その場合は、ただ再編すれば良いだけのことです。
一方で、デザイナーという「ひとりの人間」のスキルや思考やマインドセットを、分業体制に最適化しすぎるのは危険なもの。キャリアが脆弱になってしまいます。
業務の習熟とデザイナーの成長は別物
業務が分業化され、組織のオペレーションやカルチャーがそれを当たり前として慣れすぎていくと、メンバーの経験の幅が少ないことにも気づかなくなってしまいます。
たとえば、分業をとことんまで突き詰めた組織があるとします。その場合、メンバーは日々同じような幅の業務を経験することになります。組織が分業を追求するということは、プロジェクトの枠組みや期待値も固定化し、効率性を高める方向に動くため、組織には総じて同じような種類かつ似たようなスケールのプロジェクト相談がくるようになります。
このような組織に入った新任メンバーは、最初は仕事を覚えることに苦労するかもしれません。けれども早晩、毎日同じタスクを繰り返すことで業務に慣れ、目の前の仕事をこなすことが上手くなっていきます。周囲からも頼られる存在になっていきます。
一見、これはメンバーの成長の風景に思えるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。これは、デザイナーとしての「成長」というよりは、単に業務やタスクに慣れていったという「習熟」の過程として見るべきです。習熟の過程で身につけた技術は、あくまでその業務に依存したものでしかないのかもしれない。業務が成熟し陳腐化していくことと運命をともにする技術かもしれない。不確実な状況で答えを出していくようなデザイナーの成長が進んだというよりは、業務への適応が起こったに過ぎない。そういう冷静な目で捉えるべきです。

もちろん、デザイナーとして成長するためには、業務の習熟は不可欠なものです。業務への習熟なくして、デザイナーの成長もありません。それでも、業務への習熟が完了したことをもって、自分が一人前であると成長の手を緩めてはいけないのです。
分業が組織オペレーションに定着しすぎると、個人の目線では大なり小なり同じタスクの連続となります。自他ともに、「業務の習熟」を「デザイナーの成長」と勘違いすることもててきます。
デザイナー人生を5年や10年で終わらせるならば、それでも生きていけます。けれども、20年30年とみるならば、その勘違いはときに致命的になります。がんばって習熟した業務が、いつか「衰退期」に入るから。時代の変化に普遍的に対応できる、デザイナーの技術や思考や態度は、分業体制の強い「タスク型プロジェクト」だけでは身につけられないからです。
仕事に「コミットメント型」を織り交ぜる
機能的分業は、デザイン制作の分野ではごく普通なもので、短期的には効果が高い方法です。ですが、デザイナーのスキル幅の都合で、細かく分業しすぎるとコストが上がりすぎるし、周囲からの「デザイン」への期待も落ち込んでしまう。さらに、業務そのものが長期的に成熟していく過程で、その分業に慣れすぎてしまっているとデザイナー自身が辛い状態に陥ってしまう。分業を当たり前のものとし、疑いの目を向けない環境では、分業への習熟を、デザイナーの成長と勘違いしてしまう。ゆえに、分業が課題として捉えられない現状があります。
こういった、毒にも薬にもなるデザインの分業を、どう扱っていけば良いのか。
答えはシンプルです。「タスク型プロジェクト」と「コミットメント型プロジェクト」のバランスをとり、分業体制を絶対的なものとして扱わないことです。
分業は仕事の前提ではなく、短期的な効果を発するための特別な方法だという認識を、組織の中で共有する。機能的分業を組織文化の中で相対化し使いこなすのです。
「コミットメント型プロジェクト」がなければ、意図的につくりだせば良い。社内の問題解決でも、チームの取り組みでも、デザインの研究開発でも、自治体の公募でも、小さくて良い。デザイナーが自分のロールに固執することなく、要件が不定形なものに対して、スタートからゴールまで、すべての能力を出し切って、責任をもって取り組む経験をする。
要件が不定形で探索的であることは、最新の市場課題・社会課題に肉薄できるということ。誰かが、デザインしやすいように加工した課題ではなく、野生にあるそのままの課題。そこに、全身で飛び込んでいく。
「ロールにとらわれない」とは、安全地帯にいられないこと。常に市場や社会からのストレッチがかかった状態でいるということです。ロールとしての自分でなく、全人格で取り組むことは、創造性を開花させる端緒ともなります。いつもの「こなしかた」「打ち返しかた」とは違う自分の全身運動を発見できる。それが新しい価値への兆しにもなるのです。