作業から創造へ 人間の強みは「曖昧さを内包できること」
ブランディングの支援を行うフラクタのCEOを約10年つとめた河野氏は、2024年3月にミリモルホールディングスを創業した。新たに立ち上げた同社の事業はAIのトレーニング。「実際どんなAIにどのような情報を与えるかによって、AIが役に立つかどうかは決まるため、“使える“AIを生み出していく」ことが目的だ。それに今までの経験を活かし、よりAIを活用したブランド/事業支援に注力していくと言う。
AIに対する印象は人によってさまざまだろう。役に立つことを実感している人もいれば、まだまだ使い物にならないと思う人、そして「仕事をとられてしまうのではないか」と怖さを感じる人もいるはずだ。河野氏自身も「未来があり、楽しいと思う反面、これはあまり良くない、怖いと感じる瞬間もやはりある」と、AIへの感情を語る。そのうえで、クリエイターはAIとどのように関われば良いのかなど、「今後のクリエイターの仕事について示唆を与えることができたら」と、本セッションの目的を示した。
河野氏が触れたように、「仕事を奪われてしまうかもしれない」「なんでも作れるように思えて怖い」といったAIに対するネガティブなイメージは、比較的フォーカスされやすいかもしれない。その一方、AI技術の発展によって今までとまったく異なる仕事のやりかたが生まれ、「創造すること」に多くの人たちが関わるようになると言われていることも事実だ。
「ChatGPT」に代表されるAIモデル「LLM(大規模言語モデル)」では、言葉で会話するなど、人間的なコミュニケーションをとることができる。それがビジネスシーンや日常に大きなインパクトを与えたわけだが、それに対し河野氏は「それでも急にすべてが変わるわけではない」としながらも、「とはいえ単純な作業はAIが取り組んだほうが圧倒的に早い」と考えを述べる。
基本的に生成AIは、過去に生み出された膨大な量のデータを記憶しパターン化しているため、過去の情報を参考に「おそらくこれで良いだろう」といった平均的な答えを出すのがとても上手い。だからこそ「突出したもの」や「突拍子もないもの」を生む出すことも難しいのだ。
では、そんななかで、人間はどのようなことが得意なのか。人間には何が残されるのか。河野氏は自身の見解を次のように明かした。
「あらゆる曖昧なものを、そのままの状態で処理できることが、実は人間がいちばん優れている点です。そのため割り切れないことや定義できないこと、答えがないことを内包した状態で生きることができる。曖昧さをもって行動できることは、このうえない強みなんです」
AIの活用が、自身のクリエイティビティ発揮につながる
だが一方で、AIを活用し人間の考えを拡張したり、生産性を上げたりすることは可能だ。つまり、人間がAIを使って自身の足場を広げることはいくらでもできる。だからこそ、全世界の多くの記号が「AI活用」に取り組んでいるのだ。
そこで河野氏が説くのが、「クリエイティブAIディレクター」という新たな役割の必要性である。この職種とはいったい何なのか。それを語る際のひとつのポイントとして示されたのが「クリエイターの多様性」だ。
「クリエイターは、自らの人生や生き様を反映しながらクリエイティビティを発揮していると思います。もちろん、創造性を生むためには多大なエネルギーとコストがかかっており、クリエイターとして生計を立てていくには、ある程度万人受けすることも目標にしなくてはなりません。
しかし、AIをはじめとしたテクノロジーの力を活用することで、『万人受け』を狙うための労力を最小限におさえることができるのです。つまり生産性を極限まで上げれば、最小限のコストと時間で自らが生み出したいアウトプットを『naked』な状態で世の中に出せるかもしれない。AIが進化していった先に、そんな世界が待っているのだと思います。だからこそ今後は、『いかに多様性を発揮できるか』が重要になってくるのではないかと僕は考えています。
そして同じように大切なのが、『手を使うこと』です。AIはスピーディーかつ大量のコンテンツを作ることができるうえ、24時間働くこともでき、文句のひとつも言わない。そうなったときに人間が最大の武器にしなければいけないのが「考えること」。そして、考えることは「手を動かすこと」だと思うんです。
たとえば美術大学の学生が大量にデッサンを行うのは、単にテクニックを学んでいるだけではない。脳のなかの構造自体を、クリエイティビティを発揮する状態にしているとも言えると思うんです。だからこそ、そういった状態をつくるためにも『手を動かすこと』は人間にとっていっそう重要になるのです」
そう考えていくと、「作業を行ったり、作業に時間をかけたりすることの価値は徐々に薄れていき、『思考』することが重要になる」と河野氏。そして「手を動かすこと」と同じように忘れてはいけないのがそれを「楽しむこと」であり、AIと共存するために必要なスキルでもあると言うのだ。
「少し矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、今までの世の中で大切にされていたのは『どれだけ売れるか』『売れるためのデザインやアウトプットを考えることができるか』でした。しかしそれ自体は今後AIができるようになる。
そうなると人間は、それを監修し、善し悪しの判断をしていく必要がある。そのためには『教養』も不可欠でしょう。そしてその教養や判断をするための思考方法は、手を動かして実際にクリエイティブを制作しながら獲得していかなければならない。それが、未来のクリエイターに求められることです」
“人間が作ったことそのもの”がブランドになる時代へ
それにともない、「人間が作ることの価値」が非常に上がっていくと河野氏は予測している。
「『人間の創造性』への再評価が進んでいき、アルゴリズムにはない価値がとても重要になってくると思います。アウトプットのクオリティがどうかよりも、“人間が作ったことそのもの”がブランドになるのではないでしょうか」
現時点では、AIを活用しても望んだクオリティに到達していないものが生成されるケースも多い。しかし、そういった「質」以上に、「AIで作ったものを低く評価してしまう」といった現象がすでに起き始めているのだ。
その表れのひとつとして挙げたのは、2023年10月に販売が開始されたカメラ「ライカM11-P」。コンテンツがどのように作成または変更されたかを細かく公開する「コンテンツクレデンシャル機能」を搭載していることが話題を集めた。クリエイターが自身のアウトプットであることを適切に表明できるため、誰が撮影したものなのか、はたまたAIで作られたものなのかなど、履歴を残すことが可能だ。これも、作り手がAIであるのか、人間であるのかが、制作物の評価に影響を与えているからなのかもしれない。
「そういった部分をふまえると、人間に求められるのは、AIがクリエイティブ制作やクリエイティビティの拡張を支援する際に、それをコントロールすること。そして、そんなAIにおける“管制塔”の役割を担うのが『クリエイティブAIディレクター』という存在です」
クリエイティブディレクターとは、アウトプット全体の質を監督し、クリエイティブの総合的な責任も負う役割だ。そのため長年の下積みを経てたどり着く仕事であるという印象を持っている人や、その肩書きを目指し研鑽を積んでいる人もいるかもしれない。
しかし今後は、「全員がクリエイティブディレクターにならなければならない時代が訪れる」と河野氏は言う。
「どんな仕事でも、基本的に人は自分の思考の癖に縛られています。つい貧乏ゆすりをしてしまうのと同じように思考にも癖があり、ほぼすべてのアウトプットで表出しています。それがときには『らしさ』としてポジティブな評価につながる一方、アウトプットの幅を狭めている可能性もある。そのため、まったく別の視点を取り入れる必要があるのです」
たとえば建築家の巨匠などは、抱えていたたくさんの弟子たちが出してくれたアイディアによって新しい風を取り入れていた面もある。大御所ほどネタが切れることがなかったのは、そういった弟子たちのアウトプットによるものだとも言われている。
「AIを活用すると、そういった弟子がたくさんいるかのようなアウトプットが可能です。つまり、AIが生成したものを自分が採用し、それをベースにつくっていくと、自分だけでは辿り着けなかった新しい領域に手を伸ばすことができる。さらに自らがアウトプットをするだけでなく、それらのAIをコントロールする。それが、クリエイティブディレクターがAIを活用する意味なのではないかと思っています」
「事業をまったく新しい次元に昇華させる」AIと人間がすべきこと
一方、「生成AIは人に近いもので、人間ほど優れたものではない」という考えかたも必要だと河野氏は進言する。人間は、あらゆる汎用性と多様性をもった存在でありながら、特定の項目についてはエキスパートになることもできる。このふたつをAIが両立することは「まだまだ難しい」というのが河野氏の考えだ。
「やはり人間にできることはまだたくさんあります。決断や判断、そしてコミュニケーションは人間が行う。これは数十年先まで、重要なポイントになってくると思っています。
そのため、AIを活用し今以上にさまざまなことができるようになっていくと、もちろんリスクもありますが『人間の創造性』は再評価されてくるはず。つまり人間が人間らしく、やるべきことに専念でき、AIをコントロールしながらその周辺領域をまとめることができれば、まったく新しいビジネスモデルが生まれたり、現在の業務もまったく新しい次元に昇華されたりする可能性がある。これが、僕がいちばん伝えたいことです」
実は設計ツール「CAD」が登場した際にも、人間の仕事が全部奪われてしまうのではないかと言われていたが、いざCADが利用され始めると、スケッチやプロトタイプの作成といった作業がおざなりになってしまい、大幅に手直しする時間が新たに発生。まったく効率化はされず、イノベーションも起こらなかった。そのためまずはベースとなる部分を人間がしっかりつくり、そのあとの工程でCADを活用する、つまり「人とテクノロジーを融合する」ところに結果としては収まったのだ。
それらをふまえて河野氏は改めて、人間とAIそれぞれがやるべきことを提示した。
「このなかでも人間にとってとくに大切なのは『責任をとる』こと。これは間違いなく人間にしかできないことだからです。一方、AIが得意なこととして、24時間365日稼働できる、何度やり直しても疲弊しない、膨大なアウトプットを出せるなどありますが、なによりも『精神的なマネジメントが不要』である点は大きなポイントでしょう。こういった部分を上手く使いこなすことで、ビジネスや事業をまったく新しい次元にまで引き上げることができるのではないでしょうか」
最後に河野氏が触れたのは「倫理」の問題。日本人の特性も交え次のように語り、セッションを締めくくった。
「『進化とは無秩序な変容に過ぎない』という言葉をダーウィンが残しています。つまり、進化=良いものになるのではなく、「無秩序」の先に秩序が構成されるという意味です。つまり、混沌とした状態のなかでもいろいろなものに取り組みながらだんだんと整えていく。それがとても大切なのだと思います。そして、これは日本人が得意なことなんですよね。多くの自然災害がある日本では、アンコントローラブルな状態に陥っても、諦めずに何度も新たな秩序を生み出してきた。それが、日本人の強い武器であるわけです。
今、国策としてAIを導入するなど、各国がさまざまな施策を行っていますが、『クリエイティブAIディレクター』が日本発で世界の秩序になるような時代になればと思っています」