広告は数字と競争から抜け出せるのか 小島よしおさんと考える、愛されるコンテンツの話

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2025/01/24 11:00

 博報堂のクリエイターたちが「今会いたい有識者」と語り合う対談シリーズ。今回は、お笑い芸人として活動しつつ、昨今はYouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」など教育関連の取り組みにも注力している小島よしおさんと、博報堂/SIXでクリエイティブ・ディレクター/ストラテジストの藤平達之さんが対談します。広告とコンテンツの違いや、ロジックだけに頼らないことの重要性など、おふたりの対話から見えてきた、愛されるコンテンツの、そしてそれを生み出す人のあるべき姿とは――。

リサーチなどのインプットから「良いもの」は生み出せるのか?

藤平(博報堂) 本日はよろしくお願いします。まずは私から、今回「小島さんとお話したい!」と考えた理由をお伝えさせてください。

我々は、世の中から見ると「広告」を作っている会社というイメージだと思います。一方で、最近は広告以外を手掛ける事例も増えており、実は私の仕事も大半がブランドパーパス(存在意義)を体現するための広告“以外”の領域の仕事です。直近では、Webドラマ、ファッションアイテム、株式投資サービス、プロジェクター付きシーリングライトなどを担当しております。これは例えば、Webドラマ“の広告”ではなく、ドラマそのものを企画・制作している形です。

小島 プロジェクター付きシーリングライト! 我が家にも設置されているものかもしれません(笑)。

藤平 子育て中のご家庭にとくに人気なので、その可能性は高そうです(笑)。広告以外のクリエイティブワークに携わっていると、まだそこまで経験値が多くないこともあり、広告制作以上に、主観(自分の想い)と客観(生活者の気持ち)のバランスをどう取るべきかに悩むことが多いんです。

たとえば、先ほどのプロジェクター付きシーリングライトの場合は、お子さんを育てているご家庭にお邪魔をして子育ての悩みや部屋ごとの役割などを徹底的にインタビューし、アプリケーションやコンテンツを開発しました。投資サービスの場合は、“億り人”と称される億超えの資産を保有する投資家に会いに行き、初心者の投資デビューの持論をレクチャーしてもらいました。こういうように、慣れていないがゆえに、どちらかというと「客観」を正確に把握するフェーズに時間をかけることが多いです。

というなかで小島さんにお声がけした理由ですが、「そんなの関係ねぇ」という、これどうやったら思いつくんだ?(笑)という突破力のあるギャグもあれば、YouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」など、教育領域のコンテンツも作られている。この振れ幅はどうやって生まれるのか、そして、主観と客観のバランスはどうなっているのだろうといった疑問があるわけです。

――小島さんの主観と客観のバランス、非常に気になります。たしかに、最近の小島さんは、お笑いだけでなく教育関連の取り組みも数多くされている印象です。これまでとは毛色が違う活動ですが、どんなきっかけがあったのでしょうか。

小島 結構シンプルなのですが、コロナ禍の影響で全国の学校が休校になったとき、知り合いの作家さんから「教育の領域にチャレンジしてみるのはどうか」と提案してもらい、先ほど触れていただいたYouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」を始めたのがきっかけです。するとありがたいことに注目いただいて、だんだんと教育関連の仕事が増えていった形です。

僕のこれまでを振り返ると、自分でやろうとしたことはなかなか上手くいかないことが多かったのですが、逆に誰かから誘ってもらったり、アドバイスをもらったりして取り組んだことのほうがスムーズにいきがちなんです。

お笑い芸人 小島よしおさん
お笑い芸人 小島よしおさん

――それが自然発生的なものだったのかはさておき、小島さんであれば、お笑いに加えてYouTubeや書籍、藤平さんも広告だけでなくさまざまな領域のクリエイティブに携わっている分、インプットもさまざまなジャンルにわたるのではないかと思うのですが、普段はどのようにされていますか?

小島 難しい質問ですね。藤平さんは映画・ドラマや本ですか?

藤平 映像や本もたくさん見たり読んだりするようにしているのですが、実は私のキャリアのスタートは「リサーチャー」という名刺でした。その名残からか、あの手この手で調査をすることを“直接的な”インプットにしています。先ほどのようなインタビュー調査もありますし、この間はフィールドリサーチとして日本のあるエリアに1週間ほど滞在して写真を撮りまくりました。もちろんアンケート調査も行いますし、事例をみんなで分析するケーススタディ調査、有識者へのヒアリングなどをすることもあります。何が突破口になるかはケースバイケースなのですが、多面的なリサーチは、クリエイティブをより良くしてくれると信じています。

小島 おもしろいですね。そういったインタビュー調査は、どれくらいされるんですか?

藤平 直近担当したリブランディングのプロジェクトでは、さまざまな方へのヒアリングは、合計すると40~50人、計40時間ほど行いました。我々の世界では「5人に聞けば8割のことがわかる」と言われているのですが、一方で、「残りの2割は100人くらいまで広げないとわからない」と思っています。クリエイティブはどちらかというと「その2割を理解できるか」という勝負なので、毎回100人を調査することは難しいとしてもなるべくそこに近づきたいと思っています。

博報堂/SIX クリエイティブ ディレクター 藤平達之さん
博報堂/SIX クリエイティブ ディレクター 藤平達之さん

実際、「インプットをしているほど予想外のアイデアに到達できる」ということを最近実感しているところでもあります。“天才肌”と称される人って、無意識のインプット量がとても多いんですよね。通勤の電車で見た風景、何気なく見聞きした会話、そういうものが脳内にアーカイブされていて、ふとした瞬間に連鎖して新しいアイデアになる――。単なる思いつきではなく、良質なインプットがアイデアに化ける瞬間はたしかに存在しており、とくにクリエイティブディレクターの先輩やクライアントの経営層の方に多い印象です。

小島 なるほど。ただの「思いつき」ではなく、「洗練された直感」を生み出す能力ということでしょうか。

理屈を超えて愛される「そんなの関係ねぇ」は、偶然の産物だった

藤平 しかも、最後にロジックを凌駕したそういうものって、理屈が透けて見えないので「刺さる」んですよ。最近気になっているのは、「被分析性」という言葉です。お笑いにせよコンテンツにせよ、業界内では広告もですが、なんとなく「分析ブーム」じゃないですか。分析って成長につながるトレーニングではあるのですが、「どうしてこうなったのか分析できない」というもののほうが最後は強い気がしています。つまりさきほどの言葉で言えば、広告以外の領域で「被分析性が低い」企画を作りたいわけです。

広告の言葉の由来は「“広く”告げる」ですので、つまりは「全員がなんらか分析できる」ほうが理解してもらいやすいとも言えるのですが、最近はそれと反対に「特定の層に」「深く」届き、かつ、理屈を超えて愛されるものはどうすれば生まれるのだろうと考えています。その最高傑作のひとつが「そんなの関係ねぇ」だと思っているので、どのように生まれたのかとても気になります。

小島 もともとギャグではなかったんですよ。クラブでマイクを渡されてラップをしたのですが、上手くいかなかった結果生まれたもので、ネタとして考えたわけではありませんでした。ただ、数ヵ月経ったときに知人から「『そんなの関係ねぇ』、まだ家族の前でやってるよ」と言われて。

藤平 え、どういうことですか(笑)?

小島 クラブで見た印象がとても強かったのでそれを家族に教えたら、家庭のなかでちょっとしたブームになったようなんです。当時はピン芸人になりたてでネタが少なかったこともあり、その話を聞いたあとのラジオで披露してみたらそれがヒットして、舞台でもやってみたら事務所のライブが大盛り上がりして……。そうしているうちに、テレビにも出演できるようになっていきました。

現在の海パンスタイルもこのときに生まれましたね。テレビのオーディションで、前半は「服を脱ぎながら怪談を話す」という持ちネタのあと、最後に海パン一丁で「怪談、上手くいかなかった、下手こいた~」から「そんなの関係ねぇ」をやったところ、ディレクターに「前半は要らないな」と言われまして(笑)。そこから海パン一丁で登場するようになりました。

私のことを「主観と客観のバランスがいい」と藤平さんはおっしゃってくださいましたが、こうやって振り返ってみるとたしかにそうなんですかね(笑)。とりあえずオススメされたらやってみて、良かったものを進化させながら自分らしく続けているイメージです。

求められるのは「変化」への柔軟さ 小島よしおはアジャイル型? 

藤平 当時、ディレクターから方向性を示されて「いやいや、自分はこっちのほうがやりたいんだ」と思ったりしなかったですか?

小島 それはあまりないですね。もともと活動していた5人グループが解散したことで、自分が「おもしろい」と感じていたものを否定されたような気がして……。そのときに「これまでの自分は捨てないといけない」と思ったことが根底にあるかもしれません。

そもそもネタづくりも別の人がしていましたし、自分の能力がそこまで高くないと自覚していたので「自分にはないことを提案してくれる人に乗っかろう」というイメージでしょうか。

藤平 お話を聞いていると、小島さんは根っからの「アジャイル型人材」なのではないかと思えてきました(笑)。

小島 アジャイル?ですか? 初めて聞きました。

藤平 もともとはシステム開発の用語らしいのですが、組織や人材を指す場合は、実行と改善を短いスパンで繰り返し、素早く意思決定していくことで価値創造・課題解決するといった意味で使われています。緻密な計画や過去の成功事例に縛られすぎず、柔軟にトライアンドエラーを繰り返すことは、新しいクリエイティブワークでとくに重要になり、個人的にも目指している姿です。

たとえば映像でも「15秒・横型」というテレビCMの王道パターンが、スマホの台頭で「6秒・縦型・スワイプ」になったり「1時間・スクエア・倍速」になったり、すごい速さでフォーマットが変わっているのにともなって「いいクリエイティブ」も変化していきます。

その際に、自分たちは「考えかた・作りかたから作り直す」ことが必要になるわけですが、そのときに大切なのが、それを楽しみながらできるかどうか。そのときは、ためらいなく人に聞くことも、失敗を受け入れることも重要なわけで、そのあたりが今まさに試されているなと思っています。

小島 なるほど。お笑いも、賞レースがたくさん生まれた結果、ルール・フォーマット・いいお笑い像みたいなものは変化していますし、ちょっと似ている部分を感じますね。たしかに自分は強い信念があるほうではないので、アジャイル型と言えるかもしれません。

藤平 ちなみに小島さんのなかで、「おもしろい」「良い」コンテンツの基準はありますか? 

小島 「生の声(n=1の声)」を重視していますね。野菜の歌であれば「うちの子ども、野菜の歌がきっかけでナスを食べられるようになりました」などの反響があると、取り組んだ意義を感じます。反対に、YouTubeであれば再生回数は気にしていません。100人が何となく観るよりもひとりの印象に残る。「人生変わりました」とひとりの方から反響をいただくほうが、僕は自信になります。

「答えを描く」広告、「選択肢を増やす」コンテンツ

藤平 たとえそれが「コンテンツ」でも、広告コミュニケーションやマーケティングの傘下に位置づけられると、「差別化」を求められることが多いのですが、小島さんはお笑いやYouTubeなどでも差別化という視点を意識されていますか?

小島 あまり考えていないですね。草で言うと、自分は雑草が好きなんです。競争力が弱いからこそ石垣やコンクリートといった誰もライバルがいないところで生えている。自分もそういう「誰もいないところ」で勝負するようにしていますね。

藤平 「この花壇の中で一番目立つ花になりましょう」という取り組みが差別化だとすると、小島さんの雑草スタンスは独自性がありますね。パーパス(存在意義)発想とも言えそうです。

小島 いかに花壇から遠いところで目立つかは、とても意識しています。2024年に始めた野菜ネタNo.1決定戦を決める「野菜-1グランプリ」は良い例です。なぜ僕がこういうスタンスなのかを考えると、根底には「みんながハッピーになれば良い」という思いがあるからかもしれません。

昔、小学校の先生と対談させていただいたことがあるのですが、僕がYouTubeに授業動画をアップしていたことから先生にライバル視されてしまって。でも僕はそもそも争うなんて考えたことはなく、「学校の授業についていけない人が、自分の動画を見て授業についていけるようになったら良いな」という気持ちなんですよね。

お笑いでも「誰がライバルですか?」とよく聞かれます。たとえば、裸の芸人としてとにかく明るい安村さんがライバルのように言われることもありますが、僕は「見せる系の裸」で、安村さんは「見せない系の裸」。野生動物も、みんなケンカせずに棲み分けているわけじゃないですか。

藤平 共存共栄の精神ですね。キャンペーンという“単位”が、どんどん短くかつ速くなってきているので、どうしても数字や競争にとらわれてしまいがちですが、「みんながハッピーになればいい」という小島さんのお言葉は肝に銘じたいなと思いました。結果、もっとスケールが大きく、おもしろいことはできる気もしています。何もかもが細分化されすぎたからこそ、「共鳴できる価値」にみんなが集う時代になってきているという実感はありますし。

小島 広告のことは詳しくありませんが、メディアの記事を見ていると「PVを稼ぐためなら何でもすると考えているのだろうな」と感じることがよくあります。PVという数字ではなく、もっと質の部分、たとえば「バリュー」を測れる軸ができれば、社会も変わるのかもしれないと考えることもありますね。

もちろん、数字の指標そのものを否定するわけではありません。ただたとえば、「PVが多いからすごい」「こっちの動画はPVが伸びていないからダメ」と、PVだけが判断軸のようになって、優劣を決めたり、対立のきっかけになったりするのは望ましいことではないと思います。

藤平 私たちが、広告だけを作る会社ではなく、クリエイティビティを武器にさまざまなアウトプットを生み出す会社だとすれば、広告マーケティングとは異なるKPIを持たないといけないのかもしれません。そうでないと結局、「コンテンツを作っている」わけではなく、「コンテンツ“型”の広告を作っているだけ」「サービス“風”の広告を作っているだけ」になってしまいそうです。

広告は「このアイテムを身につけるとかわいくなれる」「このビールは、達成感がある日に似合う」など、受け手の印象を整え、ブランドが信じる「答え」を投げ込む競技という側面が強いです。一方でコンテンツは、今日の小島さんの話を聞いていて、受け手の選択肢を増やし「答えはそれぞれにゆだねる」部分が大きいなと感じました。

小島さんの野菜の歌であれば「好き嫌いは良くない」「野菜を食べないと大きくなれない」といったメッセージを伝えるのではなく、歌って楽しむのも良し、野菜を食べるのも良し、と懐が広いですよね。そしてその懐の深さには、小島さんの「バリュー発想」があるのだなと思います。

単純に広告“以外”の手段が拡張していくだけでは不十分で、それに順応していくアジャイルな姿勢も大事。そしてそれ以上に「何を目指して制作をするのか」という矜持のアップデートが必要だなと思いました。同じであることを愛し、ともに幸せになるという態度で、選択肢を増やしていく。競争型のKPIに追われないスタンスを本当に身につけられたらいいものが作れるなと思ったので、小島さんをリスペクトさせていただきつつ、明日からまた頑張ります。