「ホテルを通したまちづくり」をすべく不動産の道へ
――北原さんのこれまでのご経歴を教えてください。
北原(VALM) 子どものころから興味があったまちづくりを勉強するべく、大学ではエリアマーケティングを専攻。その過程で、「街づくり=ホテルづくり」だと定義し、卒業後はエリアに特化した不動産事業を営む企業へ就職しました。ホテルを社長一代でつくりあげた例があることを知り、ホテル開業のための勉強がしたいと考えたからです。
僕はホテルを通した街づくりを行いたかったため、ホテル運営を行う会社ではなく、手段として不動産業を選びました。その会社で不動産営業として働いたあと社長室付けとして、同社が経営しているホテルの事業改善を拝命。そこで現場を理解するためにホテルのフロントに立ち、新人スタッフの水準から仕事をスタートし、約5年で、ホテルの支配人、エリアマネージャー、事業統括までを経験しました。この期間で、ホテルを起業するための知識を身につけることができたと思っています。
それから現在のVALMを立ち上げ、2023年8月末に「BOTANICAL POOL CLUB」を千葉県鋸南町に開業しました。
小山(博報堂) 「街づくりとしてのホテル」を開業するための最短の道を進まれたんですね。
北原 僕が目指しているのは、何もなかった場所にホテルというひとつの拠点ができて、そこに今まで来なかった人たちが訪れるようになり、その人たちが街の魅力を知って別の人たちを連れてきてくれること。常に、街づくりの視点でホテル事業を考えています。
そう思うと、不動産ビジネスの「いくら投資したら儲かるか」という視点だけではなく、魅力的な体験をつくるための「クリエイティブな要素」が不可欠です。僕は些細なことでも良いので、僕たちのホテルから家に帰ったゲストにポジティブな影響を与えたいと思っています。そのためには「世界観」や「居心地」といった言語化が難しいものを、クリエイティブを通して価値にしていくことが大切だと考えているんです。
小山 事業立ち上げの最初から、ブランディングを意識されていたんですね。
――小山さんはどういった経歴でアートディレクターになったのですか?
小山 僕は現在、クリエイティビティでクライアントのDXを支援する専門チーム「XRクリエイティブ」でアートディレクターをつとめています。子どものころから絵を描くのが得意かつ性格が明るかったこともあり、トーク力とデザインを掛け合わせた仕事ができたらと考えていたなかたどり着いたのが、アートディレクターでした。
博報堂には、広告制作会社とインタラクティブエージェンシーを経て入社しました。そのころから「デザインを軸にどのように事業を拡大していくか」を考える仕事が増加。当社も事業を支えるためのデザインやブランディングにより力を入れ始めたころでした。そんな流れもあり、僕は仕事の軸をブランディングに寄せていきました。現在では、ブランディングディレクションを通して、クライアントの事業にコミットするプロジェクトが多いです。
北原 僕らも「ブランディングすごいですね」と言っていただけることがあるのですが、まだまだ道半ばだと感じていますし、僕らがブランドとして目指しているバリューを正しくゲストに理解してもらうためにはとても時間がかかることを痛感しています。ブランディングは長い期間をかけて取り組んでいくものという前提のもと、ゲストとコミュニケーションをとっていくことが欠かせないですよね。
小山 おっしゃるとおり、ブランドづくりは長い年月がかかるものです。ブランドコンサルティングのような形で数年間伴走させていただいているクライアントがいらっしゃるのですが、ブランディングに終わりはないと感じています。
一等地の面に数週間広告を掲出して終わりといった打ち上げ花火のような施策もありますし、それが効果的な場面もありますが、企業の規模や事業フェーズによって適した打ち出しかたは異なります。そう考えると、ブランディングとは花火ではなく焚き火。積み上げてきたものの火を絶やさずにコミュニケーションを続け、浸透させていくことがポイントだと思っています。
「この美しさをもっとも享受する方法」を考えてたどり着いた「プールクラブ」
――小山さんは過去にも「BOTANICAL POOL CLUB」を訪れたことがあるそうですが、どのような印象を持ちましたか?
小山(博報堂) 千葉に住む知人からBOTANICAL POOL CLUBができたと聞きウェブサイトを拝見したのですが非常に素敵で。それがきっかけで今年の夏に宿泊しました。実際に訪れてみると、想像をはるかに超える素晴らしい場所でした。プールをメインに自由に過ごせるというのも、日本にはあまりない特別な体験だと感じましたね。
訪れる前は「パーティーが好きな人たちがたくさんいる場所」を想像していたのですがまったく異なり、非常に落ち着いた空間であることに驚きました。こういった印象づくりは、戦略として意識されているのですか?
北原(VALM) そう言っていただけて嬉しいです。というのも、BOTANICAL POOL CLUBでは、少し贅沢をしたい若者から富裕層をペルソナとして想定しています。富裕層にとっては少しカジュアルな「これくらいでちょうど良いんだよね」と感じられるもてなしを、一方で背伸びをして訪れる若い方にはラグジュアリーな体験をそれぞれ提供できるような心地よさをイメージしています。
そのために意識しているのは、パーティーシーンのようなにぎやかな場面と、ウェルネス的な静かなシーンが混在するなど、相反しているような概念を取り入れることです。夏季にホテルで日々行うイベントの企画がパーティーに近い「動」的なものが増えていると感じたら、冬季はウェルネスをテーマにしたものにするなど……。
自然が豊かな場所にあっても建物のデザインはモダンであることも、植物に囲まれたなかでパーティーをすることも、真逆のものに見えるかもしれません。ただ僕たちは、そういった異なる概念を共存させることが、人生を豊かにすると考えているんです。
――なぜプールクラブをテーマにした事業を立ち上げようと思ったのですか?
北原 もともとプールクラブに関する事業をおこそうと考えていたわけではありません。この土地は大学の保養所の跡地で、目の前のガーデンも荒れ果てていたのですが、そこから見えるサンセットがとにかく美しかった。そこで「この美しさをもっとも享受できる過ごしかたは何か」と考えた結果、プールサイドでゆったり寛ぎながらサンセットを眺めることができるのがいちばんふさわしい過ごしかたなのではないかと思い至りました。
ただ、「プールつきのラグジュアリーホテル」と打ち出しては、東京や沖縄の有名ホテルと比較されてしまい、私たちのような中小企業は太刀打ちできません。そこで「ホテル」ではなく自らを「プールクラブ」と名乗り、「プールがメインで、そのなかのいち機能としてホテルがある」といった立て付けにしました。新しいカテゴリーの競合他社がいない市場で勝負しようと考えたからです。
事業の優位性をつくるブランディングの第一歩とは
――お話を伺っていると、事業や経営においてブランディングが重要であることを痛感します。なぜこれほどまでに大切なのでしょうか。
北原(VALM) 一般的に消費の中心が「モノ」から「コト」へと移り変わっているなかで、ホテルでも「機能」より「体験」が大切になってきています。つまり、「その場所でしかできない独自の体験」が求められている。ただよっぽど特別な何かがないかぎりは、場所の特性だけでオリジナルな体験を演出することは簡単ではありません。
そこで「ブランドの世界観」によって、独自の体験価値を生み出すことが大切になるのです。「“BOTANICAL POOL CLUBで食べた”あの料理がおいしかった」というように、枕詞にブランドが付くことが最大の価値になる。あらゆる選択肢のなかから選ばれ続ける事業にするために、ブランディングは必須だと思います。
小山(博報堂) ブランドという言葉が家畜の牛を見分けるための焼き印を意味する「Burned」に由来するように、ブランディングの根源は「差別化」です。
企業は自分たちを選んでもらうために、自社が持っているカードでどのように他社と差別化するかを考えなければなりません。そのときに重要になるのが、ブランディングの戦略。どの企業や事業にも必ず特異性があり、それを掘り出すのが僕の仕事です。北原さんは鋭い視点をお持ちなので俯瞰的に見えていると思うのですが、自社ならではのユニークさに気づかないクライアントも多いんです。
北原 今まで自分たちでは気づいていなかった部分が、ブランディングにおける差別化のポイントになるんですね。
小山 たとえば「リブランディング」と「家のリフォーム」はとても似ていると思うんです。僕は建築士が家をリフォームしていくテレビの番組がとても好きでした。台所の動線が悪いけれど、そこで使われているタイルは祖父が大切にしていたものだから活かしたいといった家族の要望に応え、大切なものを残しながらより良い形に仕上げていく。そういった部分が、リブランディングとの共通点だと感じていたからです。
家のリフォームとブランディングに通ずるポイントは、「なにが魅力であるかをおさえ、いかにそれを最大化させるか」。企業でもブランドでも、まずはもともと持っている良さが何かをしっかり理解すること。これが成果につなげるブランディングの第一歩だと考えています。
そのあとに僕らアートディレクターやクリエイティブディレクターに求められるのは「なぜそれが良いのか」や「どうしてそうするのか」を言葉で説明すること。新しいロゴを提案するときに「かっこいからこれにしましょう」と伝えるだけでは当然説得力はないですが、そのロゴにどれくらいの価値があるのかを「言葉」で表現するだけでも足りません。重要なのは、企業にもたらす価値やデザインを理論的に説明できること。相反するように見える「情緒的」な価値、つまり人がワクワクする根源的な部分もふまえてブランディングをしていくことが、大切なのではないでしょうか。
――最後に、VALMとしての展望を教えてください。
北原 2025年から2026年に、関東圏にて新しいホテルを2棟オープンする計画が動いています。それはBOTANICAL POOL CLUB同様、強いコンセプトを持たせた企画です。いずれも、そのエリア上に今ないものを実現できるホテルとして構想しているので、VALMとして第2弾、第3弾となるホテルも楽しみにしていただきたいです。
実は僕は、会社を急成長させたいとは思っていません。BOTANICAL POOL CLUBをほかの場所でも展開してほしいといった依頼もありますが、フランチャイズでは従業員全員が誇りを持ったホテル経営は難しいでしょう。僕らが心から行きたいと思える場所で、素晴らしいと思えるホテルを、年に1軒ぐらいのペースでつくることが理想です。
僕たちの事業のひとつのテーマは、まだ不動産の価値が見出されてない場所でクリエイティブの力を発揮することにより、土地の資産価値を向上させること。そのため、超一等地にホテルをつくろうとも考えていません。不動産のポテンシャルだけでは価値が生み出しづらい場所に、オペレーションとマーケットのブランディング、デザインの力を掛け合わせて新たなバリューをつくる。そのためのソリューションが、僕らにとってのホテルなのです。
――事業デザイン/ブランディングへの思いをお聞かせください。
小山 ブランドや事業デザインを行っていくときに大切なのは「熱量」だと思っています。僕はブランドを好きになるスピードがとても速いのですが、それが加速するのは「ブランド」と「人」が魅力的なとき。もちろんプロとして良い部分を見つける努力は怠りませんが、クライアントさんがものすごい熱量をお持ちだと、僕らも「その思いに応えるために絶対に良い提案をしたい」とモチベートされていきます。だからクライアントと僕らは、ある意味「鏡」でもあると思うんです。
ただ今日お話をしていて、北原さんが行っていることと僕の仕事に共通点があるようにも思いました。BOTANICAL POOL CLUBと同じものを別の場所でつくることは考えていらっしゃらないというお考えと同じように、ブランディングも各社ごとにオートクチュールで考えていく必要がある。まったく同じフレームのブランディングが通用することはありません。だからこそ、そのクライアントごとの強みや魅力を見つけて磨いていくこと。それを改めて大切にしていきたいと実感した取材でした。
――ありがとうございました!