こんにちは。RANA UNITEDグループ代表の木下 謙一です。
本連載では、デジタル領域からグラフィックデザイン、プロダクト、リアルイベントなどまで媒体を横断したトータルなクリエイティブディレクションを強みとするRANA UNITEDが、ブランディングを手掛ける際に大切にしていることをお伝えしています。
前回は、ブランディングの重要性や、その領域の広さについてお話ししました。今回はそれをふまえて、欠かすことができない“デジタル”におけるユーザーとのタッチポイントを軸に考える「デジタルドリブンマーケティング」がテーマです。
1990年代からウェブ制作を生業に 当時は「仕事にならない」
僕はインターネット黎明期といわれる1990年代からウェブサイトの企画や制作、運営を手がけてきました。インターネットの出現から約四半世紀、僕のキャリアはインターネットの進展とともに歩んできたとも言えます。
自動車とそのデザインが好きだった僕は、自動車のデザインに携わるべくデザイナーを目指しました。当時、自動車メーカーで働くデザイナーは紙面上でデザインをしていたのですが、スケッチでは素敵なデザインでも三次元になると異なるイメージに仕上がってしまうことが多々あり、それを残念に思っていました。そうしたモヤモヤを抱えながら武蔵野美術大学で勉強をしていたころにコンピューターと出会い、複雑な三次元のデザインをするにはコンピューターを使えば良いのではないかと思い、CGを学ぼうと考えました。
そして大学卒業後は本格的にCGを学ぶため株式会社NHKアートに入社し、放送用のCG制作に従事。その後、自動車のデザインをCGで手掛ける会社に転職し、実際のデザインから自動車デザインにCGを活用するワークフローのコンサルティングまで経験することができました。
一方で僕が仕事を始めた1990年代半ばには電話線を使って家庭にインターネットを引くことが可能になり、インターネットが少しずつ身近なものになっていきました。大人になってからインターネットに出会ったことは僕にとって非常に衝撃的でしたし、同時に、インターネットを活用した課題解決に未来を感じました。それが、インターネットを生業にしようと決めたきっかけです。
当時はウェブサイトを持っている企業はほとんどなくて、「ウェブデザインなんて仕事にならないよ」と言われたものですが、実際どうなったかというと、みなさんご存知のとおりです。
デジタルによって数多くのコンテンツが生まれた今こそ大切なこと
そうした時代の変化に合わせて、ユーザーとのタッチポイントも大きく変わりました。インターネットが普及する前の1990年代前半は、テレビ、新聞、雑誌、ラジオといった四大マスメディアやOOH(屋外広告)、店頭などがタッチポイントの中心でした。
しかし、インターネットが広まったことで、それら媒体の一日の視聴時間は大きく下がり、代わりに私たちはインターネットを通じたコンテンツの視聴に、多くの時間を費やすようになります。ここでの大きなポイントは、ユーザーとのタッチポイントが多様化したことです。
たとえばテレビのキー局は現在でも数えるほどしかなく、テレビが主流だった時代は多くの人が同じコンテンツ(番組)を試聴していました。一方、インターネット上には無数のコンテンツが存在しているため、インターネットの普及後は、無数のコンテンツから自分の興味関心に合わせて選ぶようになりました。それにより企業側は、自分たちの会社やサービスなどに興味を持ってもらうことが非常に難しくなっています。昔はテレビCMを打つことで多くの人に情報を届けることができましたが、今では同じだけの効果は期待できません。
このようにインターネットが普及し、デジタル化が進んでいる現代では、デジタルにおけるタッチポイントのつくりかたや、デジタルへの波及まで意識した施策、さまざまなメディアをミックスしたブランディングなどがとても重要になります。