作り手がターゲティングされる世界に MEDIATORの幼馴染ふたりがゆるりと語る、メディア×クリエイティブ論

作り手がターゲティングされる世界に MEDIATORの幼馴染ふたりがゆるりと語る、メディア×クリエイティブ論
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2020/01/10 08:00

 2019年8月に新たな会社が誕生した。「サイバー・コミュニケーションズ」(以下、CCI)と、データ&クリエイティブカンパニー「Quark tokyo」との合弁により生まれたメディアコミュニケーションエージェンシー「株式会社MEDIATOR(メディエイター)」である。なぜMEDIATORが生まれたのか。今回は、MEDIATORで代表取締役であるオノダタカキさんと取締役に就任した岸岡勝正さんに、MEDIATOR誕生の背景を伺うとともに、これからのクリエイティブやメディアのありかたなどを語ってもらった。実はこのふたり、小学校から仲の良い幼馴染なのだ。

 インターネットマーケティング企業である「サイバー・コミュニケーションズ」(以下、CCI)と、データ&クリエイティブカンパニー「Quark tokyo」との合弁により、今年の8月に「株式会社MEDIATOR(メディエイター)」が誕生した。メディアとクライアント双方のビジネスメリットを最大化するべく生まれた、メディアコミュニケーションエージェンシーである。なぜこの2社が会社をつくったのか。その背景を語るには、あるふたりの存在が欠かせない。ひとりは、MEDIATORの代表取締役で、Quark tokyoの取締役でもあるオノダタカキさん。もうひとりは、CCIではメディアグロース部門のマネージャーをつとめ、MEDIATORでは取締役に就任した岸岡勝正さん。実はこのふたり、小学校からの同級生でとても仲が良い。中学校では部活も塾も一緒。高校は別々の学校へ進むものの、大学も同じというつながりの深さだ。

 このふたりの縁にもふれながら、クリエイティブの領域で活躍してきたオノダさんとメディアの分野で力を発揮してきた岸岡さんに、これからのクリエイティブのこと、メディアのこと、広告のことなど、ざっくばらんに語ってもらった。

長年感じてきたクリエイティブとメディアの課題

――おふたりの最初の出会いはいつだったんですか?

オノダ 小学校5年生のときに彼が転校してきて。何かわかんないけど、仲がよかったんですよね。

岸岡 バスケじゃない?

オノダ そうだ。バスケを一緒にやってたんですね。それから中学では部活も同じで塾も一緒だった。高校は別でしたが、高校生のときがおそらくいちばん仲がよかったですね。

岸岡 ほぼ毎日のように同じ公園に集まったりしていましたね。学部は別ですが大学も同じでした。僕らが就活をしていた2006年ごろは本当にネットバブルだったので、きちんとそれなりの生活をしてくためにはネット業界しかないと思ってCCIに入社しました。

オノダ 僕は就活のときにアニメの『攻殻機動隊』にめちゃくちゃハマっていたんですよね。岸岡や別の友達とみんなでずっと見ていて、『本当にこういう未来がくるよね』という話をよくしていて。もし攻殻機動隊で出てくるような、電脳がネットにつながった社会がやってきたら、ネットに対してのリテラシーがないとこれからは生きていけないなと思い、インターネットという切り口で就活をしたのがきっかけです。

写真左:株式会社Mediator 代表取締役、Quark tokyo 取締役 クリエイティブディレクター オノダタカキさん/写真右:株式会社Mediator 取締役、株式会社サイバー・コミュニケーションズ メディアグロース・ディビジョン ディビジョン・マネージャー岸岡勝正さん
写真左:株式会社MEDIATOR 代表取締役、Quark tokyo 取締役 クリエイティブディレクター オノダタカキさん/写真右:株式会社MEDIATOR 取締役、株式会社サイバー・コミュニケーションズ メディアグロース・ディビジョン ディビジョン・マネージャー岸岡勝正さん

――オノダさんはクリエイティブ、岸岡さんはメディアという軸でいままで事業に携わってきたと思うのですが、それぞれ課題に感じている部分はありますか?

オノダ 僕は、全部を知ってる人がいないことは悪だなとずっと思っているんですね。だからメディアのことはやっておいてというようなクリエイターも、クリエイティブのことは僕らじゃちょっとわかりません、っていうメディアの人たちも僕はあまり好きじゃなかった。

特別なスキルもないし、僕は絵も本当に下手なんですけど、それでもクリエイターを名乗ることができているのは、やっぱり勉強しているからなんですよ。

たとえばSIMONEというブランディング・エージェンシーにいたころは、クリエイティブディレクターのムラカミカイエさんのクリエーションを2年半、ずっと近くで見ていました。何をもってこの人が文字のサイズを変え、色を変えるのかということをとにかく真似していたんです。その結果、自分のオリジナルを生み出したり、それが正しいか否かの判断ができるようになった部分がすごくある。だからセンスではなく、いいものの良さを理解することを繰り返せば、人並み程度にクリエイティブはできるんじゃないかと思っているんですよね。そんな中でクリエイティブに対して食わず嫌いである人が多いことに、ずっと疑問を持っていました。

岸岡 広告って、本来ならそこに合わせたデザインをしなければいけないのに、そこまで考えているメディア側の人たちもあまり多くない。クリエイティブ領域は広告主や広告会社の仕事、となりがちです。そのメディアに合ったものが何なのかを、編集領域だけではなくて、広告の部分もあわせて考えないとダメだと思っていました。

それにちゃんとコンテンツと合ったものを展開しないと当然ユーザーも見ない。でもそれってCCIで完璧にできるのかと言われるとなかなか難しい部分も多かったので、ずっと課題感はありました。

――そんな中でMEDIATORの構想は、どちらから提案されたんですか?

岸岡 最初に声をかけたのは僕です。

オノダのように、際立ったスキルをもった人間を育てるためにはどうしたらいいかということを以前から考えていたんですよね。ただ、いまのCCIの状況やガバナンス、企業制度などを考えると、自社内でそれをやりきるのは相当ハードルが高い。そう思っていたときに、たまたまある案件でオノダと初めて一緒に仕事をして、こいつすげぇなって思って(笑)。

ユーザーのインサイトをもとにクリエイティブを考えていくスキルは、明らかにCCIにはないものでしたし、そのプロセスへの取り組みかたも徹底していた。それでいて結果を数値で出せるところは、いろいろなクリエイターの方と仕事をしてきたけど完成度が違うなと。こんなに優れた人が、僕にとっていちばん近い友人なのだから、これは何とかお願いしようと思いました。

――最初に話を聞いたとき、どう思いましたか?

オノダ 即答でやろうよと言った気がします。全然悩まなかったですね。

単純にメディアを活用するのが楽しそうだなと感じたのがひとつ。あと僕は、オプトのSEMコンサルタントとしてキャリアをスタートさせたのですが、それをすごく誇りに思っていて。コピーライターとして修業したとか、美大を卒業したというのも確かにかっこいいと思うんですが、最初の自分のキャリアを悲観的に捉えたことはいままで一度もありません。あの時があったから今があるとずっと思っていたんですが、それを外に発信する機会があまりなかった。それがCCIと一緒にやることで、原点回帰できるのかなと感じたんです。

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