「マンガにしたいものがなくなった」 吉本ユータヌキさんが語る、キャリアとコラボと挑戦の話

「マンガにしたいものがなくなった」 吉本ユータヌキさんが語る、キャリアとコラボと挑戦の話
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2024/06/12 08:00

 『あした死のうと思ってたのに』 『「気にしすぎな人クラブ」へようこそ』などのエッセイマンガを手掛ける吉本ユータヌキさんにインタビューを実施。企業コラボでの心がけ、コーチングで得たSNSやファンとの向き合いかた、考えかたの変遷などについて話を聞いた。吉本さんのこれまでの歩みから、クリエイターとして生きるためのヒントを探ってみよう。

ブログで収入を得るために始めたマンガ

――まずはマンガ家を志した経緯から教えてください。

小学校の卒業文集には「マンガ家になる」とは書いていたものの、そこまで本気だったわけではありません。当時の先生の影響で、友人と自由帳に描いたマンガを見てもらったときに「いつかマンガ家になってね」と言ってもらったことが理由だったと思います。そのため中学校では野球部の活動に、高校生のときはバイトに明け暮れました。そのあとは音楽の専門学校に進み、26歳まで打ち込みました。

音楽を辞めたタイミングで始めたのがブログ。同世代の友人たちに収入面で追いつきたいとの思いからです。

最初は、文章と写真で少しネタっぽい「行ってきたレポ」を中心にアップしていたのですが、収入を増やすためにはやはりアクセス数を伸ばさなければならないと考え、写真だけではなく挿絵も掲載してみたり、1コママンガで表現してみたりするようになりました。それが気づいたらすべてマンガになっていた、というのが正直なところです。

挿絵などのイラストを描き始めたのが今から10年前で、マンガが主軸になったのがおよそ8年半前。このころにはすでにエッセイマンガの体裁になっていました。そして、オリジナルで物語を作り始めたのが3年ほど前です。

吉本ユータヌキさん
吉本ユータヌキさん

当初はとにかくブログへの流入が多ければ良いと思っていたため、Xでも更新したことを知らせる投稿しか行っていませんでした。PRマンガなどの案件をいただけるようになってから、拡散力についても多少意識するようになりましたが、それでもブログのリンクをそのまま貼り付けるのではなく、作品そのものを投稿するようにしたくらいです。

ただ、SNS投稿におけるひとつの転機は2015年です。子供が生まれたので、その思い出を育児マンガのようにXにアップするようになりました。毎日まではいかずともなるべく多く更新するほうが良いだろうと思っていたものの、当時は会社員との兼業で寝る時間を削って描いているような状態。そのためできる範囲で投稿をしていました。

――マンガ家のみで生計を立てていこうと決断なさったきっかけはありましたか? 

正直に言えば、意を決して決心したわけではありません。形としては2019年ごろに会社を辞めて独立しています。ただこれも、大阪に住んでいたけれど滋賀県に家を買おうと決めたため、物理的に当時の会社を辞めざるを得なかっただけ。せっかくだから一度チャレンジしてみようという感覚で専業になりました。どちらかと言えば今でも兼業のほうが良いと思っているので、今後会社に勤める可能性はあります。

しかし今はありがたいことに、現在いただけているお仕事で手一杯のため兼業をする余裕がありません。実は2年ほど前に近くの会社で週1日働いていたこともありました。ですが書籍出版の準備で忙しくなりそうだったため離れることにしたため、もし今よりも仕事が落ち着いていけば、会社でも働きたいですね。

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