「“ないもの”を立ち上げたい」 改めて思い出した写真への情熱
諸石(ヒューリズム) 長年持ち続けていた「実写の映像を撮りたい」という目標は、どのような経緯で叶えられたのですか?
松本(TAUMA IMAGE) ひとりで東京で仕事をしていた当時、大阪の自社におけるマネジメントは部下に一任していました。それにより、少し時間ができたんです。さぁ何をしようかと考えていたとき、1通のメールが届きます。ウェブデザインの仕事をしている大学の先輩からの写真展の誘いでした。なぜウェブデザイナーなのに写真展なんだろうと気になり足を運んだら、それがほんとうに素晴らしかった。小さなギャラリーだったのですが、今までに見たことがないくらい素敵で、心の底から感動しました。
当時の僕はたまに写真を見たりはしていましたが、よくも悪くも広告の世界にどっぷりとつかっていたため、周りにそんなことをしている人はひとりもいませんでした。そんなときに出向いた先輩の写真展によって、「僕はこの世界にめちゃくちゃ憧れていたんだ」という気持ちを思い出した。小学生のころにひたすら蝶々をカメラで撮影していたのも、「あ、こういうことなんだ」と。言葉ではなかなか伝えられないのですが、自分の世界観や自分にしかわからないことをみんなに伝えたいんじゃないか。そう思ったんです。
しかしそれは、広告の仕事とは毛色が違います。広告はクライアントの課題を解決していくテクニカルな仕事。それなのに僕がやりたいのは“ないもの”を立ち上げることでした。
そこでその先輩に「こんな素晴らしい写真はどうやって撮ったんだ」と聞いたら、このギャラリーを運営している写真家の瀬戸正人さんに師事したと。そこで瀬戸さんを紹介してもらいました。写真を見てほしいとひたすら頼みこむと「来週の日曜日に撮ってきた写真を100枚持って来い」言われたので当日素直に見せに行くと、ひととおり見た瀬戸さんが「やめたほうがいい。全然才能ない」と言うわけです。でも僕は音楽での挫折のおかげで、写真の才能は絶対にあると確信していたので「いやいやいやいや」とつい言ってしまって。「真面目に見てください。生意気かもしれないけど、そんなことはないはずです」と。そうしたら瀬戸さんが面倒くさがりながらも「毎週100枚持ってこい」と言ってくれたので、そこから2年間毎週100枚、撮った写真を見てもらう生活が始まりました。
当時瀬戸さんが始めた写真のアートスクールには、今大活躍している写真家もたくさんいました。そこに顔を出しながら2年間写真を撮っていると、ほんとうにわかってきたんです。“写真を撮れているかもしれない”と。
すると瀬戸さんが「これとこれとこれ良いじゃん」と撮った写真を選んでくれるようになったのですが、続けて「これをなんで撮っているのか説明できるか?」と聞かれる。そこで、写真もなぜ撮っているのかを言語化しなければいけないのかと気づくわけです。そこから僕はコンセプトを意識するようになり、さらに1年後、写真展開催にこぎつけました。
そのころに、キヤノンの「写真新世紀」という賞に応募します。その動画部門の審査員をつとめていたのが中野裕之さんで、そんな師匠とも言える人から「絶対に賞をとれるから出してみろ」と言われたんです。そんなことしませんよとその場では返したもののずっと記憶に残っていたため後日その賞について調べてみると、荒木経惟さんやHIROMIXさん、蜷川実花さんなどそうそうたるスタークリエイターが受賞していた。これは一回チャレンジしなければ後悔すると思い、記念受験の気持ちで応募したんです。正直1ミリくらい、本当に選ばれるんじゃないかとも思っていたんですけどね。そうしたらグランプリに次ぐ優秀賞に選ばれた。そこから実写の仕事もたくさんくるようになり、ひととおりのことができるようになりました。2015年ごろのことです。