生成AIはクリエイティビティをどう変える? 安野貴博さんと博報堂が考える、AI時代のクリエイター論

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2025/03/12 11:00

これからのクリエイターは「be動詞」ではなく「普通動詞」で自分を語る

岸本(博報堂テクノロジーズ) 「テクノロジーを使って社会課題を解決する」という思いで活動されている、その最たる例が「政治」なんですね。

安野 私にとっては、政治も小説もビジネスも、どれも同じくらい重要ですね。私は自分のことをかなり薄っぺらい人間だと思っているので(笑)、どんな活動をするか考えるとき、基本的にはまず「楽しいかどうか」を重視しています。

もう少し真面目なことを言うと、エンジニアがバグをつぶしていくように「テクノロジーで世の中の課題を解決したい」という思考回路を持った“オートマトン”(自ら動作する機械)のように動作する人間、というのが表現としては適しているかもしれません。課題に感じたものを解消して、世の中が自分の想像していたとおりに動いたときにおもしろみを感じる。

そういう観点から、ソフトウェアも作ればビジネスも考えますし、小説も書けば、都知事選にも出馬する、という感じです。少し近視眼的かもしれませんが、「次にこれをやったらおもしろそうだ」という考えの連続で今に至ります。

そもそも、世の中がこれほどまでに進化する今、長期的に計画して動くのって難しいじゃないですか。計画を立てるよりもアジリティ、つまり変化に敏感に対応していくことに重きを置いたほうが良いのではないか。「地図よりコンパス」が大切なのではないかという仮説を持っています。

豆谷(博報堂) 楽しさが原動というなかで、各活動に楽しさのランキングのようなものはあるのでしょうか。たとえば「小説を書くのがいちばん楽しい」とか……。

安野 どれかひとつが楽しいというより、それぞれの活動が違うからこそ楽しさの総量が増えている、と表現するのが正しいかもしれません。いくらおいしい食べ物でも、繰り返し食べると飽きてきますよね。そうならないように、複数のアウトプットをしながら「楽しくならないリスク」を分散しているのが実際のところです。

豆谷 いくつもの肩書はあれど、どれかひとつには縛られないと。

安野 私がやっていることを「be動詞」ではなく「普通動詞」として、つまり「私は○○社の社員です」ではなく、「私はこうした活動を行っています」というようなありかた。肩書に縛られず活動する人は、私を含めてクリエイター界隈では増えていると感じています。

公共領域とクリエイターは好相性?

豆谷(博報堂) AIやデジタルに関するクリエイターとして政治にも携わるなか、どのような役割が求められていると感じていますか?

安野 前提として、デジタルと公共領域は非常に相性が良いと考えています。これまでの道路や橋などの公共財は、東京都で作ってもほかの地域に“コピペ”ができませんでした。一方、ソフトウェア資産であれば、オープンソース化すれば容易に各地と共有できるので費用対効果が高い。

ただ、大規模なソフトウェア資産を作るような財政リソースがある自治体は、東京都など限られた数しかないでしょうし、お金があっても作れる人がおらずこれまで外注で済ませてきた。外部に委託する場合、発注時に仕様を定め、それがいざリリースしたときにはほとんどが時代遅れになっているケースも珍しくありません。この「不確実性に対応するソフトウェアを開発する」点でクリエイターが参入する余地は大きいですし、私も何とか頑張ろうという思いです。

豆谷 私もオープンソースの可能性は感じていて、教育機関でももっと取り扱うようになると良いですよね。都道府県単位だけでなく、世界で使われているシステムにもオープンソースは活用されていますし、デジタルのおもしろさを知る機会にもなるはずです。

安野 私自身もオープンソースのソフトウェアをかなり使っていますし、海外の人と交流するきっかけにもなるんですよね。台湾や米国の人と交流して、またさらにオープンソースのコミュニティからネットワークが広がって、というように活動の幅も広がります。