生成キャラクターは“クリエイター”か AI女優「Tilly Norwood」問題にみる、表現の主体性と契約の未来

生成キャラクターは“クリエイター”か AI女優「Tilly Norwood」問題にみる、表現の主体性と契約の未来
  • X
  • Facebook
  • note
  • hatena
2025/11/19 08:00

 クリエイティブやテクノロジー領域を中心に、海外で話題のトピックをお届けする本連載。今回は、「AI女優」がテーマです。

 2025年秋、ハリウッドを揺るがすひとりの“女優”が登場した。名前はTilly Norwood(ティリー・ノーウッド)。インスタグラムにはプロモーション写真が並び、まるで新星のように脚光を浴びたが、彼女は実在しない。AIによって完全に生成された架空の俳優キャラクターである。

 この動きを受け、米国の俳優労働組合 SAG-AFTRA(全米映画俳優組合) は強い声明を発表した。

「Creativity is, and should remain, human-centered.(創造性は人間中心であり、今後もそうあり続けるべきだ)」

 声明では、Tilly Norwoodのような「合成俳優(synthetic performer)」の登場が人間の芸術活動を脅かすと警鐘を鳴らしている。AIモデルが「無許可で学習された俳優たちの演技」を利用してつくられている可能性が高く、「盗まれたパフォーマンスによって人間の仕事が奪われる」といった強い表現まで使われた。

 この発表は単なる技術的な議論を超え、「誰が表現の主体なのか」という根源的な問いをハリウッドにもたらした。

 映像制作、広告、アートなど、AI生成キャラクターの活用が急速に広がる今、クリエイターたちは自らの作品がどのように学習され、再利用されるのか、そしてAIキャラクターを作品に登場させる際にどのような権利や契約上の責任を負うのかという、新しい現実に直面している。

 本記事では、Tilly Norwoodをめぐる論争を手がかりに「AIが生み出すキャラクターは“クリエイター”たり得るのか」を掘り下げる。そして、生成キャラクターの作家性や権利の帰属、倫理的課題、契約設計のありかたを整理し、クリエイターがAIと向き合うための実践的な視点を提示する。

「生成キャラクター=クリエイターか否か」の境界を探る

 Tilly Norwood問題の核心は、「AIキャラクターは表現者なのか、単なるツールの出力なのか」にある。AIがつくり出したキャラクターに“人格”や“演技力”を感じる観客が増える一方、その根底には人間の表現が無断で利用されている可能性がある。

AIは「表現者」か「ツール」か

SAG-AFTRAの声明が示したとおり、AI生成キャラクターは「俳優」ではなく「プログラムの結果物」である。AIには人生経験も感情もなく、「人間の演技を参照した模倣」に過ぎないと同組合は主張する。しかし、観客がそのキャラクターに“感情移入”し、“演技”を感じるならば、それを単なるツールと呼ぶことに違和感を覚える人も少なくない。

この曖昧な境界は、まさに作家性(authorship)の定義を揺るがす。生成AIで作った映像作品やキャラクターの「オリジナリティ」はどこにあるのか。プロンプトを書いた人間の発想か、それともAIが生み出した偶発的な表現か――。

アートの世界ではすでに「AIによる創作」をめぐる評価軸が二分している。AIを“新しい筆”として使う派と、“模倣装置”として拒絶する派だ。そんななかTilly Norwoodは、象徴としてその最前線に立っている。

出典:Tilly Norwood

著作権制度のグレーゾーン

現行の著作権制度では、AIによる生成物は「人間の創作性が介在していない限り、著作物とは認められない」とされている。米国著作権局は2023年に、AIが自動生成した漫画作品『Zarya of the Dawn』の登録を一部却下し、「人間の創作が関与した部分のみ著作権の対象」と明言した。日本でも文化庁が同様の立場をとっており、AI単体による生成物に著作権は発生しない。

しかし、AIキャラクターが人間の創作物(過去の俳優の映像や声)を学習している場合、学習データそのものの権利侵害という別の問題が浮上する。つまり、AI作品が合法的に生成されたとしても、その学習過程で誰かの著作権や肖像権を侵害している可能性があるのだ。