前回は職場でのコミュニケーションとアートについて述べた。同僚・上司・取引先・顧客は、あなたの仕事という作品の鑑賞者であり、彼らにどのような影響を与えていくべきかが重要である。今回はさらに視野を広げて、アートがビジネスや社会とどう交わっていくのかについて考えたい。
デジタルと人をつなぐアートの役割
多くの企業が、デジタル化やレガシーからの脱却に懸命に取り組んでいる。デジタルトランスフォーメーションやDXというビジネスワードは、もはや当たり前になりつつある。新型コロナウィルスの影響で、これまで以上にテレワークや電子署名などの取り組みは加速している。
しかし、一方で苦戦している企業が多いこともまた事実である。デジタル化・DXと言われる前にも、システム化・自動化などのキーワードは何年も前から取り沙汰されていた。既存の仕組みを変えることはそれだけ難しいことなのである。
だからこそ、新しい価値観を創造するには、これまでにない世界を描き、構想する力、すなわち「アートの力」が必要なのだ。ひとりでは状況を変えることは難しいが、人を魅了し、人を巻き込んでいくことで世の中は少しずつ変わっていく。
しかし、なかなかそのような声は聞こえてこない。むしろ、
- AIやデジタル化により、人の仕事は奪われる
- テクノロジーは完璧ではない、人の代替はできない
といったネガティブな論調が多く、これからの未来が不安に覆いつくされているようにも感じる。
一方、デジタル化が進んでいると言われる中国は、国家の「インターネットプラス」という行動計画のもと、インターネットと人・物・価値との融合を進めている。その中でも、”人”にフォーカスしているのが特徴だ。インターネットプラス100人会の発起人である張 暁峰氏が、著書『テンセントが起こす インターネット+世界革命』でこう述べている。
2013年末から、つながりはテンセントの重要戦略の一つになった。彼らの全ての努力は人とインターネット、人と人、人とハードウェア、人とサービスをつなげることに注がれ、その中には、生活、感情、娯楽、想像、イノベーションとの緊密なつながりも含まれる。彼らはつながった一つひとつの対象を最重要のリソースと見なしており、蓄積した関係と信用は彼らの最大の資産だと考えている。テンセントは「人性」ということを基礎としており、人性に畏敬の念を払っている。
インターネットで情報がつながっていた時代から、つながりが拡張して新しい何かが創造されようとしている。クリエイターやビジネスパーソンが関わる仕事も、少しずつ変わっていく。日系企業は、どちらかというと現場主義で、目の前の業務カイゼンに目がいきがちだと感じる場面もある。だがアーティストのように、既存の枠組みにとらわれず、新たな価値を描いていく能力が求められていくだろう。
芸術祭から考える、新しい発見と未来
私は「デジタルにより人間らしさが失われる」とは考えていない。アート思考はそういった風潮を塗り替えていく役割を担っていると思っている。SDGsなどで注目される「サステナビリティ」は、新しい未来の片鱗だろう。
デッサンや作品制作という一見非合理的な行為は、色々な発見をもたらせてくれる――。このことは、私自身アート作品を制作することにより、実感するようになった。クリエイターやビジネスパーソンは、忙殺された職場環境から一歩離れて、新しい気づきに触れたりする機会を自ら作っていくべきだと私は思う。
地方や地元、住んでいる地域にも、新しい気づきは存在する。アートを通し、その気づきを形にした表現が、各地で開催されている芸術祭である。道後オンセナート、越後妻有大地の芸術祭、あいちトリエンナーレといった芸術祭が全国各地で開催されているが、どれもその地域の特徴を活かしたアート作品やインスタレーションで成り立っている。
ふと道に咲いている蒲公英を観て、「どこにでも咲いている花」と感じるか、「ここにしか咲かない花」と感じるか、感性によって大きく異なるだろう。どの街もそこにしかない特徴があり、それに気づくことができるかで――。その解像度が低いと、どの場所に行っても変化を感じることができないかもしれない。
では、この感性の違いはどこからくるのだろうか。結局のところ、自分の外からではなく、内的感情から創造される「気づく力」に起因するように思う。職場にいると、目の前の改善点ばかりに目がいくシーンは数多くあるが、本当に必要なことは、今の環境を自覚し、そこに肯定的な新しい意義を見出すことである。
芸術祭では、アーティストがその街を探索し、それぞれの意義を見出し、それを作品として表現する。クリエイターやビジネスパーソンも同様に、職場やお客さまの現場を探索することで、次の未来を作っていくべきなのではないだろうか。