デザイナーをたくましくする交渉の技術――創造的な解に導く交渉のコミュニケーション

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相手の意見をよく聞き、情報を構造化する

 では、創造的な解に至る交渉とはどのようなものなのか。具体例を用いて考えてみたいと思います。

 たとえば、ある商品を販売するための営業ツールをデザインする。そんな依頼があったとします。依頼者である営業担当者の要望をすべて叶えるとしたら2ヵ月はかかりそうなものを、相手は1ヵ月で作ってほしいと強く迫っています。デザイナーの視点では、相当な無理をして、相当にクオリティを下げればなんとかできるかもしれない。でも、そうして作った営業ツールは、むしろ商品のブランド価値を下げてしまわないか。相手の言うとおりに1ヵ月で作ることにそのまま同意するには抵抗がある。断りたい。そんな場面があったとします。

 ここで、デザイナーがとるべき行動は相手の意見をよく聞き、互いにぶつかっている争点の背景を探ることです。その際にデザイナーの都合はいったん無視して、フラットに対話する。自分の都合を考慮に入れると、どうしても「できない理由」の説明が先立ってしまいます。相手にとっても気持ちの良いコミュニケーションになりません。

 ここでの争点はやはり1ヵ月という納期でしょう。デザイナーはその「1ヵ月」が争点となる背景を探っていき、それが意味するものを解体するように質問を重ねていきます。なぜ1ヵ月なのか。仮に2ヵ月だとどういう影響が出るのか。1ヵ月でどのような成果を目指しているのか。1ヵ月の目算は誰がどういう基準で立てたのか。こういった質問を重ねます。

 次に、1ヵ月の意味を、デザインの視点からも提示していきます。1ヵ月で実行可能な営業ツールはどのようなものか。どれくらいの内容でどのような形態のものになるか。ライティングはどうか。イラストや写真はどうなるか。それが商品の魅力にどう直結するか。1ヵ月の場合の営業成果はどのようなものだと予想されるか。こういった内容を、ネガティブな論調をいっさいなくして率直に提示していきます。

模式図。争点の背景を解体する様子を示した図。争点は納期1ヵ月。営業担当者には「1ヵ月でどんな成果を目指していますか?」「1ヵ月と設定した理由は何でしょうか?」「2ヵ月かかったらどんな影響が出ますか?」「あなたにとって1ヵ月はベストな期間ですか?」という質問が並ぶ。デザイナー側では「1ヵ月で制作できるのはこんな形態・品質」「1ヵ月の制作物はこんな営業成果になりそう」「仮に2ヵ月だとこれくらいの形態・品質」「デザインで時間がかかるのはこのポイント」という発話が並ぶ。

 くわえてその過程のなかで、相手が本当に求めている本音やいちばんの関心事を探っていくようにします。すると、どうやら相手は1ヵ月と言わず、とにかく急いでいるらしい。相手は何よりも部署の営業成績を気にしており、営業部全体ですぐにでも動き出したい気持ちがあるようだ。1ヵ月ですぐに売上をつくるのではなく、まず既存顧客に新商品を認知してもらいたいだけのようだ。正直に言うと、営業ツールの内容まではイメージできておらず、ただ前例にならってデザイナーに提示しているだけのようだ。営業部の同僚から、こういった営業ツールは1ヵ月くらいでできると聞いたようだ。このような掘り下げです。

 大事なのは、建て前だけのモノラルで聞くのでなく、本音と建て前のステレオで聞くこと。人間は誰しも「自分が知らないこと」「自分の検討が甘いところ」は積極的に語らないものです。本音を引き出すようなコミュニケーションのなかで情報を補い、本質的に相手が求めていることを導き出すようにします。

共通の利益や損失を言語化し、指針をつくる

 対話を深め、争点に関する理解がお互いに深まったところで、共通の利益や損失を言語化するようにします。それにより、双方に共通の指針をつくることが目的です。

 ここでは「なるべく早く既存顧客に新商品を認知してもらうこと」が共通の利益となるものでしょう。デザイナーとしても、「その場で購買につなげるような充実した深い内容」を盛り込む必要がないことを確認できただけでも大幅な進展と言えます。

 ちなみに共有の損失となるのは、「時間をかけて内容豊富な営業ツールを作っている間に、営業の機会損失が発生すること」です。さらには「数ヵ月の時間をかけているうちに競争環境が変わり、営業ツールが無意味になること」がもっとも悲惨な状況でしょう。

 また、共有の利益や損失を語る場合は、ストーリーとしても表現することで双方の理解が立体的になっていきます。たとえば下記のようなイメージです。

 「新商品に魅力を感じるようなツールを、1ヵ月と待たずにすぐにでも既存顧客に提示するのはどうでしょうか。その場合、そのツールには、時間的な制約で詳細な内容を盛り込むことはできません。ですので、興味をもった顧客には営業担当者が1人ひとりに説明に動く必要があります。でも、それがニーズを直接聞き取る機会にもなるし、別の商談につなげるきっかけにもなるかもしれません」