Diemut『総合的実体への3つのアプローチ』

田篭 ベルリン生まれ、ニューヨーク在住のDiemut(ディムート)によるゲーム生成AIを使った作品です。
『エリスの林檎』『独り言』『エル・トゥルコ/リビングシアター』といった相互的な3つのアプローチの作品がそれぞれありますが、エリスの林檎』では、AIを実装した二人のキャラクターがお互いに議論をしています。これはLLMを使っているため何でも質問に対して答えてくれるので、たとえば彼に「愛とは何ですか?」と聞くと適当に回答を返す。ですが、そこに実体はありません。表層しか映っていないものが答えているので、どこか無理があるんですよね。彼女はAIが素晴らしいとか優れていると言っているわけではありません。そこに「肉体と精神があること」と「AI」はまったく違うというのが、彼女の言いたいことなのです。
谷口 このAI同士の議論をみていると驚くほど正確なんですよね。アーティストについての議論や批判などもされていて、僕らがChatGPT相手に話すのとは異なる感覚です。作家自体がニッチな題材を選んでいたりもしますし、まるで背後に人がいるような気味の悪さもある。
「Monologue」というバリエーションでは、同じキャラクターがお互いに会話しあっています。ただ、デジタルデータで彼らは複製可能であるため、同じキャラクター同士が会話できてしまうことにとても違和感がある。そういったものを通じて、「今テクノロジーによって生まれつつある存在はどういうものなのか」ということを根源的に問うている作品でもあるように感じます。
かつてロボット工学の分野では「不気味の谷」という考えかたがありました。人間の姿をして人間のように動くロボットは、一定のレベルまでは愛着を覚えるが、そのリアリティがある水準を超えると「不気味さ」を感じるというもの。これがコミュニケーションのレベルでも起きているように思います。そしていつかこの「不気味の谷」を越えてしまうのではないかという点で、おそろしさを感じる作品でもあります。
Jakob Kudsk Steensen『エフェメラル・レイク(一時湖)』

田篭 彼はドイツのロマン主義の画家であるカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの影響を受けてこの作品を作っています。乾燥した砂漠のような場所で消えたり現れたりする池「一時湖」に着想を得て、実際に砂漠やバレーに足を運び、そこにある石や植物などをスキャンしたりAIに取りこんだりしながらこの世界をつくりました。これを観ることによって、ここにいながら砂漠の生態を感じることができます。また毎回生成されているため、同じ映像が映ることはありません。
谷口 シムシティやシュミレーションのゲームは時間概念を操作できる点が特徴だと思っています。コンピューターの中で行われるシュミレーションは、基本的に時間を圧縮したり引き延ばしたり、ものすごく高速にできるような操作可能な時間を扱うことが多いです。こういった「時間すらも操作できる」という環境下では、アーティストが人間のタイムスケールを超えたようなパースペクティブにまで至る傾向が高いようにも思っています。そうした意味でこの作品もシュミレーションされた世界だからこそ、人間のタイムスケールを超えた時間軸の風景をつくりだしているのではないでしょうか。
Anicka Yi

田篭 韓国生まれ、NY在住の彼女は、有機的なものを使って作品を作っていました。ここにある絵画シリーズは、それまで彼女が制作してきた作品をAIに読み込ませ、それと長年蓄積してきたイメージを掛け合わせることで、生成AIが作ったものです。彼女がここで述べているのは「これは自分が作った作品だけれど、実際に作ったのはAIである」ということ。芸術家はひとりで作品を作ると思われがちですが、本当にそうなのか。作っているのは自分なのか、AIなのか――。そんな「誰が作っているのか」を問いかける作品です。
谷口 まさに生物なのか機械なのかという点は、こういった微生物の存在が感じさせるわけです。僕らが普段このスケールで見ることができないような微細な生物は、本当に機械のようにできていたりするんですよね。そうしたときは、どこまでが機械でどこまでが生物であるのかが問われる瞬間だと思います。
またAIとの協働によってこれらの作品は作られていますが、これが「絵画」という方法であることも非常に重要だと思っています。人の手で描かれたようには見えない特殊な表面の質感になっていて、レイヤー構造になっていたりする。それが「何の由来によってこれが作られているか」をわからなくもさせており、同時にとても魅力的な作品にしているのではないかと思いました。