イギリスのRCAから始まったデザインの道
――まずは、長谷川さんのご経歴から教えていただけますか?
高校を卒業後はイギリスに留学しました。そして大学卒業後にはロイヤル・カレッジ・オブ・アート(大学院)に進学し、当時としては珍しかったインタラクションデザインについて2年間勉強しました。
大学院で学んでいたとき、夏休みに日本で全員インターンをしなければならなかったのですが、当時日本の企業にはインターンという概念がなかった。そのためソニーに作品集を送り、インターンとは何かを説明し採用してもらいました。その夏休みに2ヵ月ほど働かせてもらったことがきっかけで、卒業をするときに日本のソニーで働かないかと声をかけてもらいました。
ソニーでは、画面に出てくるものすべてをデザインする部門、クリエイティブセンターで3年ほど勤務し、ヒューマンインターフェースデザインに携わりました。最後の1年間は、CSLというアイボなどの開発をしていた研究機関で、研究者の取り組みをデザイナーなりに解釈して企画化する、ということを行っていました。
その後イギリスに戻り、TOMATOというクリエイティブ集団に所属し、ファッション、音楽など、さまざまな領域の案件に関わりました。TOMATOに加わってから10年ほど経過したときに、ナイキの広告などを全世界で手掛けている広告代理店、Wieden+Kennedy(ワイデンアンドケネディ)の日本支部でクリエイティブの代表をやらないか、声をもらったため日本に戻ることに。2019年の冬まで働いていました。
――ご経歴を伺うと、eギフトプラットフォーム事業を展開するギフティは、少し毛色が異なるように感じます。なぜギフティにジョインしようと思ったのですか?
最初にソニーで、かなり初期のヒューマンインターフェースデザインに関わったあと、ベーシックなデザインというより、ファッションやカルチャー、音楽といった少し飛び道具的なデザインを行い、ワイエンドケネディでは広告などブランディングふくめ携わるという経歴が、自分なりにですが一周した感覚があったんですよね。では次何やろうかなと思っていたときに、noteに会社をやめますという記事を書いたら、それをみた社長の太田からInstagramのDMで連絡がきて。
ワイエンドケネディで働いていたスタッフがギフティの創業時のデザインワークに関わっていたこともあり、もともとサービスの存在は知っていました。C向けのサービスのことしか知らなかったのですが、太田から話を聞いていると、デザインやクリエイティブの経歴のあるマネジメントレイヤーの人材を探していると。これは自分にとっても取り組んだことがないことだったので、いままでとは違う領域で挑戦しようと思い、ジョインすることを決めました。
CCO(Chief Creative Officer)というポジションは、私がギフティに加わった際に新設してもらいました。たとえばですが、会社がCMを制作するとなったときに、デザインオフィサーという立ち位置だと関わるのが難しいと思うんですよね。グラフィックのデザインやUIのデザインだけでなく、会社全体におけるブランドのコミュニケーションなど、もう少し広いクリエイティブ全体に影響していきたいと考えています。