このコラムでは、イラストレーターと協働することで得られた気付き、という視点で書いています。
「イメージを伝えたい人」と「作画する人」の間で生まれるズレ
rala designでイラストを制作する場合は、デザイナーである私が構成を考え、イラストレーターがそれを納品物に仕上げていく。これを建築でたとえれば、設計士と大工さんのような関係性で役割分担をしていました。
そうは言っても、イラストを協働で制作する際に、お互いの役割をどこで線引きするかはクリエイターによって十人十色です。それぞれ得意分野を組み合わせて分担しますので、その切り分け方は個性とも言えます。なるべく自分の下描きどおりに作画してほしいデザイナーもいれば、文章でニュアンスを伝えようとするディレクターもいます。もちろん「おまかせ」というディレクションもあれば、作画をするイラストレーターでも構図からすべて自分で完結させたいと考える人も多いと感じます。
一方、依頼主であるクライアント側にも頭の中に作りたいイラストイメージが明確に出来あがっている場合もあります。しかしそれを自分で描くことはできないため専門家の私たちに依頼してくださるのですが、私たちが持ち合わせていないテイストを希望されるケースも。さらには、そのイラストのイメージを実現させようと、ことこまかに作画の指示をくださる方もいます。今回はそんな、構図やイラストのイメージを伝えたい人と、実際に作画するイラストレーターとの間に生まれるさまざまな「ズレ」について、思い起こしながら書いてみます。
厄介なだけではない「ズレ」
まず私がここで使っている「ズレ」という言葉について説明していきます。皆さんは「ズレ」といえばネガティブな印象を持つでしょうか。厄介なもの、なるべく発生してほしくないものかもしれませんね。
私もそういった認識が大半なのですが、今回のズレには「愛着」をもっているのです。陶芸では作陶家が出来あがりを想像して窯入れしますが、薪や火力、置かれた場所によって焼きものの表面に風合いが生まれます。こういった作り手の想像を超えた産物を「景色」と呼んで楽しんだりします。その偶然をセレンディピティとして受け入れ、「ズレ」と呼んでいるとご理解ください。
私は、ズレを活かして仕事のクオリティーを上げる方法に興味を持っています。その考えかたでは、ズレが生まれること自体を問題としません。そのズレに気付いた時に活かせるのか否か、拾うべきものなのか捨てるべきものなのか、といった判断が難しいことが問題なのです。ズレは偶然が生む産物だからこそ、価値の判断を迫られるタイミングは突然やってきます。迷いますし、不安にもなりますが、そんな時にも冷静さを持ち合わせて、「こっちのほうがおもしろい」と感じられる嗅覚、素直に受け入れられる心、工夫して活かすテクニックを得たいものです。ここからは、イラストレーターとのズレをおもしろがってみる関わり方を皆さんに紹介したいと思います。