スノーピークで培った「良いものを情熱的に伝える」ブランディング
――はじめに、これまでのキャリアからお聞かせください。
学生時代にデザインを学んだあと、東京の下町にあるかばん屋さんに就職し、7年ほどさまざまなブランドのかばんを企画開発しながらノウハウを学びました。
次に加わったのが、ファーストリテイリングです。当時プライベートブランド構築に取り組んでいたユニクロの「プロフェッショナルを求める」という新聞広告を見かけ、かばんの専門知識を活かせるのではないかと思い2000年に入社しました。デザイン研究室という部署に配属され、かばんや服飾雑貨部門のデザイナーとして一連のプロセスを経験しました。
その後、プライベートでキャンプや釣りが好きだったことや、好きなことにじっくりと関わるものづくりがしたいという思いから、スノーピークに転職しました。それが2003年です。当時のスノーピークは数十人規模の小さい会社で、社員のほぼ全員が新潟の町工場のような本社に勤めていました。当時、代表をつとめていた山井太さんからも「この地場の文化に触れながら職人たちとものづくりをするのがスノーピークのDNA」と言われ、妻と愛犬と新潟に移住。商品開発やデザインに携わりました。
それから10年ほど経過し、会社の規模も大きくなったころに、東京のオフィスに移りました。そこで新規事業開発などの“企てる”部分に携わるようになって。2020年には「未来開発本部」が立ちあがり、商品開発・デザインやブランディング、広報の機能を内包したチームを統括していました。こうやってスノーピークで20年勤めたあと、2023年1月に現在のPETOKOTOにジョインした形です。
僕自身は過去にブランディングに関して特別な勉強をしたわけではありません。シンプルにスノーピークでものづくりや販売、事業開発などにユーザー目線で取り組む過程で自然と身についたものだと思います。
僕がブランディングに取り組むうえで大切にしていることは、徹底的に良いものを作り続ける精神と、われわれメーカーがお客さまに近づきタッチポイントを増やすことのふたつです。
スノーピークではデザイナーもお客さまの前で商品やブランドについて説明する機会があるなど、メーカーのデザインや開発者としては、他社にはないぐらいお客さまとのタッチポイントが多い。それがスノーピークという「ブランド」をつくっているんです。
――「ブランディングをやりたい」ではなく「『圧倒的に良いもの』や『圧倒的なサービス』を作りたい」が起点になっているスノーピークのブランディングで、印象に残っていることはありますか?
新潟にある本社は、15万坪ほどの広さで全面ガラス張りで、会議室も執務スペースも丸見えの状態。そしてガラスの向こうにはキャンプ場が広がっています。
実際、僕が働いていた時には、よく本社併設のキャンプ場を訪れるなじみのお客さんから「吉野さん、今日オフィスいる?あの木の下で家族と友達と、キャンプ始めているよ」と連絡がくる。そこで僕も仕事が終わり次第合流して、焚き火を囲みながら会話をするんです。そこでお客さんと、デザイナーとしての思いを話したり、伝えたりするんですね。そして歩いて30秒がオフィスなので、ロッカーからテントを持ってきて寝てしまい、そこからまた翌日出勤する。そんなことが日常的に行われていました。
当時の代表は「ブランドを可視化することが大切」だとよく言っていました。その言葉のとおり、アウトドアや自然を中心にサービスを提供する会社だからこそ、新潟の自然豊かな場所にオフィスを構え、お客さまに五感で感じてもらう。要は、スノーピークを体験してもらうための空間なんです。
このようにスノーピークというブランドは、お客さんにとっても非常に開放されており、透明性も高い。だからスノーピークのお客さんは、とても熱狂的なのだと思います。
また、スノーピークはこうした接点を、本社以外にも全国に用意。経営陣もふくめスタッフが全国行脚しながらスノーピークウェイというユーザーイベントを開催しており、各会場で数百人のお客さんが来てくださいます。そんな風に全国各地で焚き火をしたり、フィールドで寝食をともにしたり、繰り返し熱い話をしたりすることで、お客さんの熱量が高まっていきます。
そのため、イベント費はかけても広告宣伝費はほとんどかけない。もちろんSNSで各店舗からの情報発信などには取り組んでいますが、ベースにあるのはリアルなコミュニティなんです。