「答えを描く」広告、「選択肢を増やす」コンテンツ
藤平 たとえそれが「コンテンツ」でも、広告コミュニケーションやマーケティングの傘下に位置づけられると、「差別化」を求められることが多いのですが、小島さんはお笑いやYouTubeなどでも差別化という視点を意識されていますか?
小島 あまり考えていないですね。草で言うと、自分は雑草が好きなんです。競争力が弱いからこそ石垣やコンクリートといった誰もライバルがいないところで生えている。自分もそういう「誰もいないところ」で勝負するようにしていますね。
藤平 「この花壇の中で一番目立つ花になりましょう」という取り組みが差別化だとすると、小島さんの雑草スタンスは独自性がありますね。パーパス(存在意義)発想とも言えそうです。
小島 いかに花壇から遠いところで目立つかは、とても意識しています。2024年に始めた野菜ネタNo.1決定戦を決める「野菜-1グランプリ」は良い例です。なぜ僕がこういうスタンスなのかを考えると、根底には「みんながハッピーになれば良い」という思いがあるからかもしれません。
昔、小学校の先生と対談させていただいたことがあるのですが、僕がYouTubeに授業動画をアップしていたことから先生にライバル視されてしまって。でも僕はそもそも争うなんて考えたことはなく、「学校の授業についていけない人が、自分の動画を見て授業についていけるようになったら良いな」という気持ちなんですよね。
お笑いでも「誰がライバルですか?」とよく聞かれます。たとえば、裸の芸人としてとにかく明るい安村さんがライバルのように言われることもありますが、僕は「見せる系の裸」で、安村さんは「見せない系の裸」。野生動物も、みんなケンカせずに棲み分けているわけじゃないですか。
藤平 共存共栄の精神ですね。キャンペーンという“単位”が、どんどん短くかつ速くなってきているので、どうしても数字や競争にとらわれてしまいがちですが、「みんながハッピーになればいい」という小島さんのお言葉は肝に銘じたいなと思いました。結果、もっとスケールが大きく、おもしろいことはできる気もしています。何もかもが細分化されすぎたからこそ、「共鳴できる価値」にみんなが集う時代になってきているという実感はありますし。
小島 広告のことは詳しくありませんが、メディアの記事を見ていると「PVを稼ぐためなら何でもすると考えているのだろうな」と感じることがよくあります。PVという数字ではなく、もっと質の部分、たとえば「バリュー」を測れる軸ができれば、社会も変わるのかもしれないと考えることもありますね。
もちろん、数字の指標そのものを否定するわけではありません。ただたとえば、「PVが多いからすごい」「こっちの動画はPVが伸びていないからダメ」と、PVだけが判断軸のようになって、優劣を決めたり、対立のきっかけになったりするのは望ましいことではないと思います。
藤平 私たちが、広告だけを作る会社ではなく、クリエイティビティを武器にさまざまなアウトプットを生み出す会社だとすれば、広告マーケティングとは異なるKPIを持たないといけないのかもしれません。そうでないと結局、「コンテンツを作っている」わけではなく、「コンテンツ“型”の広告を作っているだけ」「サービス“風”の広告を作っているだけ」になってしまいそうです。
広告は「このアイテムを身につけるとかわいくなれる」「このビールは、達成感がある日に似合う」など、受け手の印象を整え、ブランドが信じる「答え」を投げ込む競技という側面が強いです。一方でコンテンツは、今日の小島さんの話を聞いていて、受け手の選択肢を増やし「答えはそれぞれにゆだねる」部分が大きいなと感じました。
小島さんの野菜の歌であれば「好き嫌いは良くない」「野菜を食べないと大きくなれない」といったメッセージを伝えるのではなく、歌って楽しむのも良し、野菜を食べるのも良し、と懐が広いですよね。そしてその懐の深さには、小島さんの「バリュー発想」があるのだなと思います。
単純に広告“以外”の手段が拡張していくだけでは不十分で、それに順応していくアジャイルな姿勢も大事。そしてそれ以上に「何を目指して制作をするのか」という矜持のアップデートが必要だなと思いました。同じであることを愛し、ともに幸せになるという態度で、選択肢を増やしていく。競争型のKPIに追われないスタンスを本当に身につけられたらいいものが作れるなと思ったので、小島さんをリスペクトさせていただきつつ、明日からまた頑張ります。