心に届く言語化とは
私は以前、ある企業のロゴマークをデザインしたことがあります。デザインが終わり、完成したそのロゴマークを初めて見せて説明したあと、相手の経営者に言われたことを今でも覚えています。
「これまで迷いながら事業を続けてきたし、正直上手くいかないことも多かった。でも、思いがけず、会社の価値を言葉にしてくれて発見があった。はっとした。救われたような気持ちになった」
私は、クライアントである相手の機嫌をとるように、聞き心地のよい言語化を連ねたわけではありません。冷静にその企業の社会的意義や、企業の積日の物語を踏まえてデザインし、その思いを言葉にしただけでした。
そのときに、相手の経営者に言葉をかけてもらって私自身も痛感したのは、企業のロゴマークをデザインするというのは造形の話というよりは企業活動に意味を刻むこと。相手の人生に意味を与えること。もっと言うと、相手の子どもに名前をつけるくらいに重たい仕事であるということ。他人である私が、それを背負っていたこと。
言語化は、造形に対する後付けの作為ではない。デザイン成果物への解説でもありません。その言葉自体が、相手の活動に意味を与えること。与えてしまうこと。名前のないものに名前をつけてしまうことです。
正直に言えば、私はそのロゴマークを説明する際に、何を言ったかまで細かく覚えてはいません。ただただ、相手の心情に沿って言葉を探し、なるべく解像度を細かく染み込むように話したと記憶しています。デザインする時間は、相手の問題や相手の未来を思う時間です。その時間を通過した造形には意味が生まれますので、その意味について自分の意見を伝えただけなのです。
自分はなぜデザインをしているのか
ここまで、言語化について話してきました。
言語化はデザイン成果物の説明ではないこと。相手の視点でビジネス成果を起点にストーリーを組み立てること。視座を意識して、時間軸を変化させて話すこと。言語化の速度に緩急をつけて、真意となる言葉を見極めること。自分の意志を込めること。
最後に、言語化というのは「デザイナー自身の姿勢を映す鏡である」ことも強調したいと思います。自分はなぜデザインをしているのか。そのような姿勢が自分の言語化に現れるものです。
デザインする行為を、社会を変える手段として本気で考えているならば、言語化に切実さが紛れ込む。その切実な言語化が人の心を動かす。精神論ではなく事実として、たしかに表出するものです。
言語化を磨くには、ビジネスへの理解に努め、技術的なトレーニングを重ねることが重要です。書籍で多種多様な単語や文体に出会い、言語で観察し、言語で細密描写できるように意識することも大切でしょう。ただ一方で、「自分はなぜデザインするのか」という自問を日々重ねることも必要なものなのです。
今回のまとめ
- 言語化はデザイン成果物の説明に終始するものではありません。成果物を超えた問題空間全体に向けて言語化を行い、集団の視線を揃えていくことが重要です。
- 言語化は相手の視点、すなわちビジネス成果をゴールとして行うものです。ビジネス成果に向けて情報を構造化し、ストーリーとして連ねます。
- 相手の立場によって認識する世界が異なるため、視座を調整し、時間軸を柔軟に変化させて言語化すると効果的です。
- ビジネス成果に向けて言語化をしたとしても、デザイナー個人の意志を込めないとただの情報の塊になってしまいます。ビジネス成果を離れてでも自分の言葉を添えて、提言としてまとめます。
- 言語化は速度も重要です。速度をコントロールしながら、自分の内面の言葉を探し、きめ細かな言葉を届ける機会をつくることも必要です。
- 言語化の根幹には、デザイナーとしての自分の姿勢があります。知識や経験を増やすことも重要ですが、日々自問し、自分と社会とデザインの関係を見つめることもまた重要です。