近づいて「虫の目」で考える
「鳥の目」のデザインが遠くからの認知を意識したのに対し、「虫の目」のデザインは利用者が実際に施設を利用する距離感での体験を重視しました。DotHealthは駅で数分立ち寄るだけで健康測定ができるサービスです。だからこそ、初めて訪れる人でも「ここは何をする場所なのか」「どうやって利用すればよいのか」が直感的に理解できる必要があります。そこで重要になったのが、「フォント」と「ピクトグラム」のデザイン。文字は徹底的に読みやすく、サインや案内はひとめで理解できるよう設計しました。
世の中には無数のフォントがあり、それぞれに多様な役割があります。ここで紹介しきれるものではありませんが、たとえば、新聞や書籍では「Times New Roman」のように長文を快適に読ませる書体が選ばれ、大手の企業ロゴでは「Helvetica」のように中立的で普遍的な印象を与える書体が好まれたりします。
ちなみにDotHealthが参考にしたのは、欧州の駅や標識で広く使われている「DIN」フォント。忙しく移動する人々にも一瞬で理解できることを重視した書体です。幾何学的な要素を組み合わせた構造で、とにかく視認性が高く、距離を問わず読みやすいのが特徴です。
DotHealthのために独自に開発したオリジナルフォントも、直線と円弧をベースにし、デジタルな先進性とヘルスケアに求められる安心感を両立させるデザインとなっています。この書体はロゴやアイコンにも展開され、「点と点がつながって線になる」というDotHealthの象徴的なコンセプトを視覚的に表しています。

そしてもうひとつ、利用者の体験を支えているのがピクトグラムです。ピクトグラムとは、言葉を使わずに意味を伝えるシンプルな絵記号のこと。たとえば、トイレや非常口の案内に使われている人型のアイコンなどがその代表例です。DotHealthでは測定の場所や手順を、文字だけでなくピクトグラムで表現。これにより、説明をじっくり読まなくても「何があるのか、何をすればいいのか」がひとめでわかるようになっています。
ここで重要なのは、「鳥の目」と「虫の目」というふたつの視点が、それぞれ独立しているのではなく、ブランドパーソナリティ全体を一貫して体現している点です。遠くからはJR西日本のブルーを基調とした「先進性」や「信頼性」を象徴する姿が見え、近づけば文字やサインが「わかりやすさ」を提供してくれる。どちらもバラバラに存在しているのではなく、互いに補完しながら、DotHealthというブランドの「らしさ」を形づくっているのです。
すべては「知ってもらう」ことから
実際にオープンしたDotHealth Osakaは、大変ありがたいことに連日多くの人が訪れ、測定を待つ行列ができるほどの盛況を見せています。朝の通勤前に立ち寄る人もいれば、仕事帰りに気軽に利用する人もいて、時間帯を問わずに賑わいが生まれています。また、オープン直後から新聞やテレビ、ウェブニュースなど多くの媒体で広く紹介されました。ヘルスケアの専門メディアにとどまらず、ライフスタイルやビジネス系のメディアでも取り上げられ、幅広い分野で注目を集めています。このような世の中の反応は、日常空間である駅に健康習慣を取り込むという狙いが、たしかに人々の暮らしに根づきつつあることを感じさせます。
そんななかで私たちがJR西日本さんから聞いて驚いたのは、DotHealthの施設には落書きや破損行為がほとんど起きていないことです。公共空間に設置される施設では、ある程度のトラブルは覚悟されるものですが、DotHealthでは利用者がむしろ丁寧に扱い、尊重する空気が生まれているそうです。これはデザインを担当した立場からも非常に嬉しいことです。私たちのデザインが利用者の共感を呼び込み、生活の中での大切な存在として受け止められていることの表れなのかもしれません。
DotHealthは大阪駅でのオープン以来、うめきた地下口、新大阪駅、天王寺駅、岸辺駅などにもサービスを展開しており、今後もさらに他の駅や地域への広がりが計画されています。
ブランドは一度立ち上げて終わりではなく、育てていくものです。場所が変わっても「DotHealthらしさ」を保ち続けるために、「Innovative」「Accessible」「Understandable」という3つのパーソナリティを軸に据え、複雑な環境である駅にあっても、一貫して「らしさ」が伝わるよう、空間・グラフィック・プロダクトを丁寧に整えながら事業を拡張させ続けています。その積み重ねによって、どの駅でも「あの青いヘルスチェックの場所がある」という認識が人々の中に定着していくことを目的としています。

今回は、DotHealthの事例を通して、その事業ならではの「らしさ」をどう定義し、社会に向けて一貫して伝えていったのかを解説しました。みなさんの事業やプロダクトにとっての「らしさ」とは何でしょうか。それは単なる見栄えのよいロゴや、目を惹くキャッチコピーではなく、根幹にある独自の価値や目指す姿に根差したもののはずです。
新規事業開発では、「何をつくるか」に意識が偏りがちですが、同じくらい大切なのは「どう世の中に知ってもらうか」という視点。どれほど革新的な技術やサービスを生み出しても、人々に届かなければ社会に実装されたとは言えません。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが提唱した「イノベーション」も、単なる技術革新ではなく、「新しい価値を社会に根づかせ、人々の生活や仕組みを変えること」と定義されています。
社会に受け入れられてこそ、初めてイノベーションとなりうる――。だからこそ、その事業ならではの「らしさ」を見つけ、かたちにし、伝えていくことが大切です。
事業開発では「良いものをつくれば自然に広がる」とは限りません。「らしさ」をどう伝えるかを戦略的にデザインしていくことが、プロダクトやサービスが人々に選ばれ、生活に定着させるための第一歩になるのです。ブランディングとは、まさにその過程を支える取り組みであり、事業を社会に浸透させ、育ていくために不可欠な要素だと私たちは考えています。