「僕には早い」 憧れていたCDO打診を一度断った理由
――まずは、CDOになった経緯について教えてください。
僕は、CDOになりたいと思っていました。2018年ごろ、デザイン経営の文脈で、CDOやCXOといった立場の人が日本でも増えており、その方々の活躍をSNSでみて、純粋に憧れていたというのがCDOを目指した理由の半分です(笑)。もう半分は、UXデザインやデザイン思考のバブルを感じ、CDOという“肩書き”を持つことで、実践と理論が紐付いた発信をしたいなと。どちらにせよ、下駄を履こうとしていたんです。
そんな僕がCDOを拝命するきっかけとなったのが、2020年1月に、ユーザベース全体が新しい経営体制へと移行したことです。その1ヵ月まえにCTOの林尚之さんとの1on1で、「エンジニア組織にいるのではなく、デザイン組織を独立させたほうが良いのではないか」と佐久間衡(現Co-CEO)さんと話していると伝えられました。「無理です。このままの体制でお願いします」と即答しました。
入社したことで、CxOと呼ばれる人たちがどういった動きをしていたかが、だんだんと見えてきたんです。
たとえば林さんはCTOとして、エンジニア組織を守ったり、1人ひとりのエンジニアさんの成長パスを描いたり、メンタル面の不調があればそれに向き合ったり、組織に新しい技術を取り入れるなどあらゆる実務をしながら、それでもコードを書いていた。その姿を見たときに、当時5名のチームでさえまとめることができない僕にはとてもじゃないけれど「できない」と思いました。
入社前の僕は、泥水をすすりながらも必死に前進している実践者たちの努力や、人と向き合うことの苦悩が何も見えていなかった。ただ、憧れていただけだったんです。入社から半年ほどで、喉から手がでるほどなりたかったCDOは絶対に無理だと感じましたね。
ですがその2週間後の1on1のときに「やっぱり平野さんにデザイン組織のリーダーをやってほしい」と林さんから打診をいただきました。そこまで言っていただけるならという気持ちで、デザイン組織を独立させることにしました。
のちに佐久間さんに「なんでデザイン組織をエンジニア組織から出したほうが良いって言ったんですか?」と聞いたことがあります。すると佐久間さんは、「林さんがそうしたいって言ったから、YESって言ったんだよ」と。それを聞いたときに、林さんが僕の成長パスを描いてくれたからこその発言だったと気づき、そこで初めて想いもすべて汲み取ることができました。
そのときはデザイン組織を独立させて、組織の責任者(Division Leader)になるだけだったので、執行役員CDOの役職につくとは思ってもいませんでした。ですが佐久間さんが「Division Leaderは全員執行役員だから、平野さんはCDOかな」と言われて……。ほかにも執行役員に適した人がいたのに、僕がその立場になっていいのだろうかというプレッシャーを感じました。1週間ほど眠れない日々が続きましたね。
2020年1月の就任時点ではあくまでもSPEEDA事業部のCDOだったのですが、その年の4月には、SPEEDAだけでなく、FORCAS、INITIALといったB2BのSaaSプロダクトを担っていたデザイナーを合体させた組織にすることが決まり、B2B SaaS事業のCDOになりました。