未経験から衣食住のクリエイティブディレクションを極めた石崎圭一さん はみ出し続ける情熱とその戦略とは

未経験から衣食住のクリエイティブディレクションを極めた石崎圭一さん はみ出し続ける情熱とその戦略とは
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2024/10/07 08:00

 さまざまな領域で活躍するクリエイターを招き、企業とクリエイターのマッチングサービス「オプサー」を展開するヒューリズムのCOO 諸石真吾さんが、そのキャリアや作品を深掘りしていく本コーナー。今回は、異色のキャリアを歩んできたアートディレクターの石崎圭一さんに話を聞きました。

ファッションへの情熱からクリエイターに

諸石(ヒューリズム) 石崎さんは理工学部の出身ですよね。そこから新卒でアパレルメーカーに入社されたのは意外な経歴です。

石崎(Sine) 高校で数学が得意だったため理工学部の大学に進学しましたが、いざ入ってみると大学で学ぶ専門的な内容にはあまり興味が湧かず……。その代わりに夢中になったのがファッションです。国内外のファッション誌を読み漁り、郊外のスポーツショップでヴィンテージのスニーカーを安く仕入れ、代々木公園のフリーマーケットで販売したりしていました。

1990年代のファッションシーンでは“アメカジ”や古着が人気を集めており、ファッション業界が活況を呈していました。私もそういったファッションが大好きだったため、アパレル企業のレナウンに入社。最初は営業として、百貨店に洋服を紹介して納品する仕事をしていました。

諸石 そんないち営業の若手社員が、ファッションショーや空間デザインのディレクションをするようになったんですよね。どういった経緯だったのですか?

石崎 大学の卒業旅行でパリに行った際にいくつかのメゾンのショーを見たのですが、それを機に「自分もこれをやりたい!」と強く憧れるようになりました。そんななか百貨店のマネージャーに「君はうちの会社に対して何ができるの?」と試されるような質問をもらって。「ファッションショーを行って、若者向けに訴求します」と宣言したのが始まりです(笑)。

一般的には、営業がプレスルームに行って洋服を借りることさえも難しいのですが、何も知らない20代の若者がニコニコとやってきて「ショーをやりたいんですよね」と言うと、思いのほか大人たちが興味を示し、多くの協力を得ることができました。上司も「やれるもんならやってみろ」といった姿勢で、提案が通ったんです。

初めて手がけたショーでは、リースした服を通常とは異なる着こなしで着崩しにしたり、古着とレイヤードをしたり……。これが好評だったことで、手ごたえを感じましたね。

そのあともお寺で開催するファッションショーや、コンサート演出の一部としてファッションショーのような空間をディレクションすることになりました。レナウンの営業の仕事からはどんどんはみ出しているんですが(笑)。

Sine株式会社 代表取締役/Art Director 石崎圭一さん
Sine株式会社 代表取締役/Art Director 石崎圭一さん

諸石 未経験からそこまで多様な仕事を任されるようになるのは、稀有なことだと思います。当時、どのような点が評価されていたと思いますか?

石崎 「とりあえずやってしまうこと」だと思います。イベントコンセプトをつくり、モデルやスタッフ、スポンサーを集めて稚拙でもやってしまう。そうすると「変なヤツだな」と側で見ていた大人たちが興味を示し、いつの間にか細かい作法の部分をフォローしてくれました。

諸石 その後、レナウンで宣伝部に異動されました。そこではどんな経験を積まれたのですか。

石崎 レナウンの宣伝部には優秀なクリエイターがたくさんいたのですが、私が加わったのは人材が大きく入れ替わって、何も知らない若者が多く配属されたタイミング。クリエイティブエージェンシーと一緒に、海外のブランドのディレクションやキービジュアルなどを制作するのがおもな業務でしたが、宣伝部でも本来の業務以外の仕事を進んで取り組んでいましたね。

たとえば、自分たちで洋服のデザインを考えてセレクトショップに買ってもらったこともありました。というのも、当時担当していたアーノルドパーマーはどちらかというと「おじさま向け」のイメージが強かったのですが、若者向けにリブランディングしたいと考えました。古着界隈はワンポイントブームで、70sのパーマーも含め、ラルフやフレンチラコステなどが若者に人気だったため、そういったトレンドを意識した洋服をデザインしたんです。

諸石 石崎さんはそのときどきで自分が夢中になれるものを探し、活躍してこられたんですね。

石崎 そうですね。大学に入って理工系の勉強への興味を失ったけれど、ファッションに情熱を持つことができて。アパレルの営業として就職したけれど、ファッションショーを企画したり、クリエイティブに携わったりするようになったわけです。20代のころは何者かになりたくて、もがいていた時期でもありました。

そんな20代を経て30歳を過ぎたころ、自身でもクリエイティブディレクションができるのではないかといった思いから、クリエイティブエージェンシーに転職しました。

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