仮説生成の技を磨くのは「観察の習慣」
そんな俊敏なデザイナーとは対極的に、絵が下手だから仮説を可視化しない、造形的なトレーニングを受けていないので仮説生成は自分の仕事ではない、というデザイナーもいます。
ですが、それは違います。先述のように、仮説生成はアウトプットの質ではなく、タイミングと文脈の問題が大きいもの。俊敏型デザイナーでも絵が上手くない人は大勢いますし、サービスデザイナーやビジネスデザイナーというような戦略寄りのロールであっても、積極的に仮説生成していく光景を何度も見てきました。(絵が不得手なことでむしろチャーミングさが増している人もいらっしゃいます)
仮説生成を行うには、UX/UIデザインでも、コミュニケーションデザインでも、サービスデザインでも、結局は世の中の事例をたくさん見ているかどうかに尽きるものです。たとえばサービスデザイナーの場合、良いサービスは何か、そうでないものは何かといった観察を日々行っていれば、ついつい仮説を示したくなるものだと思います。仮説を出さずにはいられないという、もぞもぞした感覚になるはずです。
サービスデザイナーの観察の例を挙げてみます。対象となる事業のなかで、価値がどのように流れていき、業務としてそれがどう実現しているのか。事業を成立させるキーとなる体験は何なのか。企業や事業のビジョンがサービスのインタラクションにどんな影響を及ぼしているか――。そんな観察を習慣にするのです。毎日の観察がないと仮説は思い浮かばないものです。
観察の習慣を効果的に身に着けるためには、観察に向けた自分なりの観点を設定すると良いでしょう。直前で「価値の流れ」「もっとも重要な体験」「ビジョンと顧客接点の相関」を挙げましたが、コミュニケーションデザインでは「企業イメージを構成する視覚要素」でも、「訴求対象の違いで感性表現をどう変えるか」でも良いわけです。観察の観点をどう持つかが、そのデザイナーの個性を決定づけるものとなるでしょう。
こういった観察の量や観点にくわえて意識すべきは、「自分でデザインするのだという意志を持つこと」と「仮説を示す自己表現を臆せずにやれるか」ということ。完全な仮説はそもそも存在しないからこそ、不完全な仮説に対してみんなが勝手に思いを馳せ、自分なりの説明で穴埋めしていくものです。仮説生成に臆することはありません。
仮説を出さないでいると、デザイナーが上流工程にいる意味はありません。ただ議論を見守って情報をインプットしているだけのデザイナーは、無駄なコストと思われてしまう可能性もあるのです。「デザイン経営」とは名ばかりではないか――。デザイナーと協働するビジネスパーソンから、こんな厳しい意見を聞いたことも一度や二度ではありません。そういう目で見られることを、肝に銘じる必要があります。
仮説はデザイナーだけの武器ではない
ここまで仮説について述べてきましたが、仮説生成はなにもデザイナーだけの仕事ではありません。書店に足を運べば、仮説思考をテーマにしたビジネス書籍をいくつも見つけられるでしょう。
そういったビジネスパーソン向けの書籍は、仮説を設定することで効果的かつ効率的に思考する方法や、筋の良い仮説を立てるためにどのような論点を設定するかといった内容が多いはず。複雑で不確実な社会環境において有効な思考方法を獲得し、そのクオリティを追求していく姿勢は、すべてのビジネスパーソンに共通するところです。
では、そのような思考体系と、デザイナーによる可視化を伴った仮説生成には、どのような違いがあるのでしょうか。
当たり前ですがひとつは、顧客やユーザーなど「人」の視点に立った具体的な可視化にあるでしょう。概念世界を具体世界に翻訳し、さらに概念的思考に還流させる。具体と抽象の往復のなかで、対象の実効性が磨かれていく。
一般的に仮説思考と言うと、膨大な情報量に対して確からしい仮説を設定し、情報を絞った検討の起点をつくる。それに対して検証と修正を繰り返し、解決策の精度を上げていくことになります。
市場環境の機会と脅威、自社能力とその発展性、収益の量的な潜在性と提供価値、サプライチェーンや流通の懸念。組織の課題やボトルネック。こういった終わりのないような情報量に対して、自分なりの構造化と整理、経験則と推定の原理を駆使し、概念としての解決策の仮説を生み出します。仮説思考の起点となるのは、社会や市場や企業といった広範な概念です。マクロな視点からクローズアップするように仮説を組み立てていくのです。
一方デザイナーはこのような仮説を把握しながらも、具体的な風景に思いをはせ、自分の構想を交え、人を起点に仮説を可視化します。
企業が提案する価値は何か。どんな体験としてそれを感じるのか。感情の動きと反応はどのようなものか。魅力を感じる情報や機能は何か。どんなものに共感するのか。行動を疎外するものと促進するものは何か――。
事業の利益の源泉となるのは顧客やユーザーです。その視点から見える事業やその接点を具体化し、チームに鋭く突きつけます。
「社会や市場を起点とした概念的な視点」と「人を起点とした具体的視点」は複眼として機能します。人間がふたつの瞳で立体視するように、ふたつの視点が交差することで初めて立体の像として立ち現れるのです。(余談にはなりますが、ビジネスデザイナーやサービスデザイナーといった戦略系のデザインロールは、両者の視点を持ち高度な仮説を生成しうるという点で市場にとって稀有な存在と言えます)
戦略的思考と創発的思考
一般的な仮説思考とデザイナーの仮説生成の違いのふたつめは「対話との向き合いかた」にあるでしょう。
一概には言えないですが、一般的な仮説思考は、無数の情報から必要なものを残して削ぎ落とし、戦略的なベクトルを示すように作用することが多いものです。それは検討チームの活動方向を揃えるための一義的な推進力として機能するものです。「選択と集中」を軸においた戦略的思考。変化の激しい環境のなかでは不可欠な思考であり、組織行動でもあります。
一方、デザイナーの仮説生成は可視化されるがゆえに、自然と対話の装置となっていきます。情報を削ぎ落とすよりも、共創によって情報が増えていくこともあります。それは、一義的な戦略的思考というよりも、多義的な創発的思考として機能するもの。創発とは、個々のメンバーの相互作用によって予想しえない新たな成果を生み出すということです。多様な専門性を持ったチームのなかで、それぞれの発想をかけ合わせて仮説を発展させていくことなのです。