ピラミッド式ではなく「国」 エードット伊達さんと辻愛沙子さんが語る「強い個」を支える強い組織

ピラミッド式ではなく「国」 エードット伊達さんと辻愛沙子さんが語る「強い個」を支える強い組織
2020/01/24 08:00

 株式会社arcaのCEOであり、「お台場ウォーターパーク by ハウステンボス」の空間デザインやタピオカ専門店「Tapista」のプロデュース、そして女性の生き方をエンパワメントしていくプロジェクト「Ladyknows」代表などを勤めるクリエイティブディレクター・辻愛沙子さん。テレビ番組「news zero」にも出演する辻さんは、24歳にして世間の注目を集めているクリエイティブディレクターだ。そんな彼女の才能を育んだのが、企業のブランディング事業やセールスプロモーション事業などを手がけるエードットだ。今回はクリエイターが育つ組織やそのありかたについて、エードットの代表取締役社長 伊達晃洋さんとグループ会社のarca代表取締役社長 辻愛沙子さんに話を聞いた。

「べらべら話す(笑)」「なんだこのフラットな大人は…!」 お互いの第一印象

――まず、辻さんがエードットに入社した経緯から教えてください。

 正直にお話すると、このエードットでこれだけ人生が変わると思って入った感覚ではなかったです。でも学生の頃から、広告業界には進みたいと思っていて、その前に別の広告クリエイティブの会社でもインターンをしていたこともあり、学生時代にもう少し学びたいという風には考えていました。

ある日、家でたまたまエードットの話が出たんです。家族にも広告業界に行きたいという話はよくしていたので、今度オフィスへ行くんだけどこの会社知ってる?と父に言われて。その当時のエードットは今よりも規模感も小さく、会社のホームページを見てもイマイチよく理解できず、話はそのまま流れました。ですが数日後に、それはもう直感としか言いようがないのですが急に「ここだ!」と思い立ち、父にお願いをしてひょっこりオフィスに着いていくことにしました。

そして、代表の伊達に出会い、会社の説明をしてもらいました。その時の印象は『ワンピース』のルフィみたいな人。圧倒的に「陽」のタイプだったんです。

伊達からすごいエネルギーをもらって、翌日くらいには「インターンをしたいのですが受け付けていますか?」と体当たりでメールを送りました。そこからインターンを始めることになったのですが、通常は全部署を一巡する決まりだったにも関わらず、「どうしてもクリエイティブの仕事を学びたい」とお願いしたんです。一度は断られたのですが、もう一回交渉して押し切って。

インターン2日目で何ができるかもわからない自分をクライアントさんのところへ連れていってくれたり、その打ち合わせの場で当然のように話を振ってもらえることも、それどころかむしろ私がすごい勢いで話しても、それをおもしろがってくれたんですよね。

株式会社arca CEO/クリエイティブディレクター 辻愛沙子さん
株式会社arca CEO/クリエイティブディレクター 辻愛沙子さん

伊達 そういう場って、普通インターンだったらしゃべれないじゃないですか。でも、すごくべらべら話すんですよ(笑)。ただ、それが本当によかった。圧倒的な熱意があるし、頭もいいし、話していることも的を射ている。こんな人がいるんだと感心しましたね。その2週間後くらいには、社員になれば?と声をかけた気がします。

 元々好きなことを見つけると熱狂的にハマるオタク気質だったり、課題やアイディアを延々と考えるのが大好きで、しかもそれをはっきりと伝えるところがあって。

そういう自分の特性って、集団の中ではこだわりや主張が強くて面倒くさいタイプと受け取れるし、とくに年齢の幅も広い社会の場においては「生意気」と捉えられることも少なくないですよね。

ところが、伊達はまだ出会って日も浅いうちからそれをおもしろがって仕事の武器になると捉えてくれた。

その体験がすごく私の中で大きかったんです。年齢とか学生という立場とか、そういったものに関係なくその人の話や特性に向き合う。「なんだこのフラットな大人は…!」となりました。

――既成概念にとらわれていないんですね。

伊達 特別にそれを心がけているわけではありません。ただ、いいものはいい、と判断しているだけなんです。

株式会社エードット 代表取締役社長 伊達晃洋さん
株式会社エードット 代表取締役社長 伊達晃洋さん

「仕事に人生を捧げる」初仕事の成功体験

――入社後、辻さんはどのように仕事をしていったのでしょうか?

 ものづくりは、中学の頃から好きでした。ただ、好きなことがたくさんあったんです。たとえば楽器や歌、DTMでの曲づくり、絵を描くことも好きですし、空間演出や、服のリメイクなど、とにかくいろいろなものを通じて自分の世界観を表現するのが好きでした。ただ、それって一方、器用貧乏ともいえるわけで、一球入魂できる職人的な作り手に憧れている部分もありました。だからこそ、自分の専門領域のような、明確な武器は何か、と考えて悩み続けていました。

「クリエイティブディレクター」という今の仕事は、アイディアという無形のものを武器に、時にグラフィックで、時に空間で、時に音楽でアウトプットする仕事。武器は最終的なアウトプットの形ではなく、自分の中にあったんだと仕事を始めて気づきました。

振り返ってみると、入社直後も、自分に何ができるかわからないし、企画とは何であるかもまだ漠然としているけれど、なにか自分のクリエイティビティを役に立てたいと思い、とにかく大量の企画案を出していました。お題をもらったら指示されたわけでもないのに、翌日までにネーミング案を100案出す、ということもやっていましたね。

2月の終わりくらいに契約社員として入社し、そのあとの4月に正社員になりました。そして、自分の仕事と思える案件がリリースされたのはその年の6月と7月。このスピード感、意味がわからないですよね(笑)。今考えると、何もわからない丸腰状態で富士山を登るようなことを私自身よくやりきったなと思いますし、それ以上に伊達や直属の上司が信じて任せてくれたその度量が半端じゃないなと思います。

当時はIllustratorも使ったことないし、デザインもやったことなかったのですが、とにかく「好き」なものへの熱量だけはめちゃくちゃ強い。こういうものが美しいとか、こんなものがあったらおもしろいとか、これはこういう風にしたらより楽しくなるだろうなとか、「好き」を中心に生まれるエネルギーだけは溢れていたんです。

そんな中で大好きなゲームの会社さんの案件がある日社内チャットで流れてきて。昔からずっと大ファンだった企業だったので、営業の人に直接頼みこんで連れて行ってもらいました。その打ち合わせでも、また好きが溢れ出して思いっきりしゃべるわけです。そしてそれが最初の仕事になりました。

初めてその案件が世の中に出たとき、この仕事を通じて「こんなに世界が広がるんだ」とびっくりしました。学生時代にもものづくりをしていたし同じ人間が作っているはずなのに、そのものづくりが仕事となって自分の手元を離れると、それが記事になってさらに多くの人に届き、知らない人が自分の思い出として楽しんでくれたりする。そんな光景を見て「仕事に人生を捧げたい」と思いました。

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