ベテランデザイナーがフェンリルを選んだ「ある決定打」
戸塚さんがプロダクトデザイナーとしてSONYに入社した1982年は、ウォークマンが発売されるなど、プロダクトデザインの全盛期。車または家電のデザインをすることがデザイナーとしての花形だった。32年の間で3回ほどアメリカにわたり、マネジメントにも携わった経歴をもった戸塚さんだが、2014年にSONYをはなれ、ブシロードにジョインする。SONYをやめる1年近く前に日本に帰ってきた戸塚さんは「モノだけを作っている時代ではない」ように感じたのだという。
「当時、CDとそれを聞くためのポータブルCDプレーヤーが同じような価格で売られていたんですよ。いつの間にかコンテンツとデバイスが同じ価値として販売される時代になってしまったんだなと感じました」
次の転職先を選ぶにあたり、戸塚さんが重要視したのは、子どもも楽しんでくれるか、創業者が元気な会社であるか、の2点だ。この条件にまさに当てはまっていたのが、ブシロードだった。
「SONYのときに、『これお父さんがデザインしたんだよ』と自分やチームが作ったプロダクトを子どもにプレゼントしても『ふーん』という感じだったのですが、ブシロードが手がけるラブライブのコンサートに行けるよと言うと、家中がどーんと沸き立つんです(笑)。これってちょっとネタっぽくはありますが、実はそこに真実があるようにも感じていて。モノが嫌いなわけではないけれど、モノだけでは人を感動させることは難しくなったんだなと痛感した出来事でもありました」
ブシロードにおよそ4年間在籍した戸塚さんが、次の仕事選びの条件として挙げたのは「東京以外」と「モノを作る会社」であること。
「東京はクレイジーなんですよ(笑)。東京に住んでいたこともありますが、誰も降りない満員電車の、隙間を探して乗り込んでいくあの異常な感覚を急に思い出したんです。それで、東京以外で頑張りたいなって」
もうひとつの軸「モノを作る会社」の中でもフェンリルを選んだのには「ものすごい決定打」があったのだという。
「フェンリルの従業員数は300名を超えるくらいなのですが、エンジニアがおよそその半分を占めています。それに対し、デザイナーはおよそ15%ほど。圧倒的にエンジニアのほうが多いことからもわかるように、フェンリルって基本的には技術者集団なんですよ。でも、会社のパンフレットを見ても、ホームページを見ても、自らのことをデザインと技術を最大の強みとするプロフェッショナル集団」と表現している。「技術」より先に「デザイン」という言葉が必ず出てくるんですよね。そんな会社は初めてみました。でもそれがすごく面白いなと思ったんです。それにデザインの責任者を探していて、なんと言っても大阪本社。はじめて暮らす土地だけれど、ここだと思いました」