九州に根差す「welzo」が企業リブランディングを実施 その覚悟の裏側を経営陣とクリエイターが語る

九州に根差す「welzo」が企業リブランディングを実施 その覚悟の裏側を経営陣とクリエイターが語る
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2024/01/30 08:00

 九州に根差す農園芸の専門商社「ニチリウ永瀬」は、創業100年を機に2023年1月に企業名を「welzo(ウェルゾ)」に変更するなど、大規模なコーポレートリブランディングを行った。今回はこのプロジェクトの裏側を探るべく、welzoで取締役をつとめる後藤基文さんと、当時POOL incのクリエイターとして伴走した内島来さんにインタビューを実施。今回のリブランディングを企業とクリエイターはどのように進めていったのか。両社の視点から、その過程を追ってみよう。

「一体感のあるブランド」を目指し始まったリブランディング

――まずはおふたりの自己紹介からお願いします

後藤 最初のおよそ11年はデロイト トーマツ グループに在籍しており、経営者と伴走しながら中小企業の再生を行っていました。その経験を活かし、地域経済活性化支援機構(REVIC)で約6年間投資業務に従事するなかで、2017年の3月から旧ニチリウ永瀬の社外取締役として参画(2018年12月辞任)。その後、2022年1月に同社に上席執行役員としてジョインし、同年3月末に取締役になりました。現在は経営企画や広報ブランディング、農業関連の新規ビジネスの領域を担当しています。

内島 新卒で入社した東京にあるAOI proでは、映像に特化したくさんのCMづくりに関わりました。そこでプロデューサーになったのですが、長崎出身なこともあり、いつか九州に帰りたいという思いがありました。とはいえ自分が今まで生業にしていた映像制作のプロフェッショナルは福岡にもたくさんいらっしゃいますし、まずはそれ以外にも強みを持たなければと思い、小西利行さんがCEOをつとめるクリエイティブカンパニー「POOL」にジョイン。そこで映像以外の企業ブランディング、商品開発、都市開発、プロモーション企画などを行いました。

それからしばらくたった2019年の秋、35歳だった僕はそろそろ九州に帰ろうと思っていることを社長に相談したところ、POOLの九州支部を立ち上げるのでやってみないか、と声をかけてもらい、2019年11月に「POOL KYUSHU」をスタートするべく福岡に移住。そのときに後藤さんと知り合い、旧ニチリウ永瀬のリブランディングプロジェクトをサポートするようになりました。2023年7月に独立し、株式会社QURU(クル)を設立しています。

株式会社QURU 代表 内島来さん
株式会社QURU 代表 内島来さん

――welzoの企業概要や特徴について教えてください。

後藤 welzoの前身である「ニチリウ永瀬(旧永瀬)」は、もともと餌や肥料の原料をメーカーに卸している専門商社でした。こうしたBtoBのビジネスを軸に、現在は農業関連・園芸関連の資材・大豆などを取り扱う卸売事業を行っています。

ビジネスとして展開している事業はおもに3つあり、ひとつめは肥料とその原料に関する事業です。まず原料を仕入れメーカーに卸し、そのメーカーが製造した肥料を再度仕入れて農家に卸す。このように、メーカーを両脇で挟むようなサプライチェーンを構築しており、水産や畜産の餌原料の取り扱いを含めると全体売上の約6割を占めています。

ふたつめはホームセンターやドラッグストア、総合スーパーなどに、園芸ガーデニング商品や、水道関連の資材、一般的な生活用品を卸す事業。これらが売上の3~4割です。そして、3つめの大豆を仕入れて全国の豆腐屋や豆腐メーカーに卸す事業が、残りの1割未満です。

――コーポレートでのリブランディングに至ったきっかけを教えてください。

後藤 リブランディングの理由は、当時の企業名がもともと3社の名前の頭文字を合わせたもので事業を想像しづらかったこと、事業内容が多岐にわたっておりわかりづらかったことなどがおもな理由でした。

実際に社内も縦割りの組織として分断されており、売上などの目標こそ統一されていたものの、組織としての一体感はあまりなかった。そのため、経営戦略を練る際もなかなか方向性を定めづらかったり、社外にむけてPRしていくときにも、何を伝えるべきか定まらないような状態でした。

株式会社welzo 取締役 後藤基文さん
株式会社welzo 取締役 後藤基文さん

このリブランディングが動き始めた2020年春ごろは、ちょうど社長が代替わりをし、新たに金尾 佳文が就任したタイミングでした。新社長のもと、100年続いた企業をこれからどのように変えていくべきなのかと、新しい経営戦略や方針を考えていたんです。

そのうえで、まずはプライベートブランドのような形で展開していたバラバラの商品群に、企業としての統一感を持たせる必要があると考えました。それまでは、開発現場の意見を尊重していましたが、それだけでは会社として一体感のあるブランドにならない。なんとかして“ブランド”にしていかなければという方針があったのです。

そういう前提で社長の金尾が話を進めていたのですが、私はちょうど社外取締役を辞任しREVICとして直接関わることができなかったため、プロフェッショナルとして紹介したのが内島さんです。

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