承認プロセスを経ずに着手したブランド店舗の新設 外部からの評判が後押しに
――「魂動」と「SHINARI」で強い方向性を示したあと、その次のステップとして行ったことは何ですか?
お客さまとのタッチポイントをより良くすることです。当時の販売店やカタログ、テレビCMといったお客さまとの接点は、まだまだ行き届いていないと感じていました。ブランドとしてスタイルの方向性を規定しないまま1台1台をどのようにPRするかを考えていましたし、PRのためのスタイルづくりは、代理店主導で行われていました。車を一生懸命にデザインしているデザイナーが、お客さまとのタッチポイントに関与していない状況でした。この状態は間違いなく変えるべきだと考え、それらも私たちデザイナーが主導すると宣言。以前はマーケティング部門に属していたブランドスタイルを統括する機能をデザイン部門が持つこととし、デザイナーがお客さまとの接点を監修するプロセスに変えました。
危機感を持っていたこと、接点としてわかりやすかったことなどから、まず着手したのは販売店の改革です。いくら車のデザインを整えても、店舗にはそれをきれいに見せる場がなく、煩雑な空間に統一性もなくビラが貼られていたりしていました。それを変えるために、まずは都内にブランド店舗を新設し、デザインも監修。2010年の洗足店を皮切りに、目黒碑文谷店を2013年に、続いて高田馬場、板橋と計4店舗をオープンしたところイメージを一新することができ、お客さまの層も大きく変わりました。
そうやって少しずつ取り組みを進めていましたが、当時もまだ、経営にデザイナーを入れなければいけないという考えは薄く、そのためブランド店舗づくりも、大きな進化は企画されていませんでした。そこで、まずはフライングで店舗スタイルの提案を創りました。 大きな投資を得るための承認プロセスを踏んでいる時間はなく、でも誰かが動かなければ、会社は変わらないとの思いで、提案創りを先行させたわけです。
とは言え、僕の考えに同意してくれる人が周りにいてくれたことはとても大きかった。仲間と言える人は多くなかったものの、それでも当時の開発リーダーや、当時関東マツダという会社の社長をつとめていた同期など思いがシンクロしている人たちがいました。ですが、「取り組んでみてどんな結果になるかわからない」「それだけの投資をしても良いのか」。そんな風に考える反対派のほうが圧倒的に多かったです。
――「リターンがあるのか」という声が多いなかでいかに進めていくかは、デザインへの投資を考える際に多くの企業がぶつかる壁ではないかと思います。
そうですね。そのため私はビジョンモデルがその突破口になるのではないかと思っていました。社内からしつこく伝えていても「本当に信用して良いのか」と捉えられがちかもしれませんが、外から非常に良い評価が聞こえてくると「いけるかもしれない」といったムードが内部にも漂ってくる。SHINARIの場合も、その次に発表し欧州で最も美しいクルマ「Most Beautiful Car of the Year」に選出された「RX-VISION」「VISION COUPE」も、ヨーロッパから「あんな車が発売されたら欲しい」といった声がたくさん挙がってきたことが追い風になりました。社外からの声の重要性を改めて実感しましたね。
販売店の改革も半ば強引に行った部分もあるため注意を受けたりもした一方、最初にオープンした販売店に寄せられたお客さまの声は素晴らしいものでした。長年輸入車に乗っていた方がマツダにブランドスイッチをするということも頻繁に起こり始めたり、あの販売店なら買ってみたいといった声をいただいたりすることも増えていった。東京の4店舗からスタートしましたが今はアメリカをはじめ、中国、台湾などグローバル展開も始めています。販売店のクオリティが売上に直結するということが、徐々に浸透し始めているのだと思います。
次に、テレビCMやカタログなどにも適用できるよう、「トンマナはこういう風にしましょう」「写真ではこうやって車に躍動感をだしましょう」「車を斜めにするのはやめましょう」といった具体的な基準やブランド様式をつくりました。
マツダは販売店だけでなくモーターショーにも出ていたのですが、マツダの青いロゴに黄色や緑などで斜めのラインを入れているようなビジュアルもあった。ですが当然それではいけないですし、マツダとして上質な方向に向かっていくことを示すためにも、使って良いカラーの範囲など細かくルールを決めていきました。
最近で言うと、社員の作業着やマツダミュージアムでリノベーションをする際のデザインなども手がけました。また以前は代理店を入れて行っていたモーターショーのスタンドのデザインも、現在は建築デザイナー2名を社員として採用し社内で作成するようにしています。