「交わる場所」がアイデンティティ サンフランシスコ在住の灰色ハイジさんが語るデザイナーのキャリア選び

「交わる場所」がアイデンティティ サンフランシスコ在住の灰色ハイジさんが語るデザイナーのキャリア選び
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2024/07/29 08:00

 どこで働くのか。どうやって働くのか。なにを生業とするのか。大切にしたいことはなにか――。働きかたの選択肢が広がっているのは、もちろんデザイナーも例外ではない。今回は、アメリカ・サンフランシスコ在住のビジュアルデザイナー 灰色ハイジさんに現地インタビューを実施。現地での就職活動やキャリア選択の軸などについて話を聞いた。

企業づとめをしながらフリーランスも 日本での働きかたを振り返る

――デザイナーを目指したきっかけや、キャリアの変遷を教えてください。

中学生のときに学校に行っていない時期があったのですが、そのときに自宅にパソコンとインターネットがやってきたため、インターネットをしたり、ペンタブレットで絵を描いたりしていたんです。当時は作品を投稿できるSNSのような場所もなかったため、制作物をネットに公開しようと思うと、自分でウェブサイトから作らなければいけない時代。それが、ウェブ制作を覚え、ウェブデザインと出会ったきっかけです。その後、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の情報デザイン学科に通い、本格的にウェブデザインを学びました。

卒業後に新卒で入社したのは、当時はウェブ制作がメイン業務だった博報堂アイ・スタジオです。もともとウェブデザイナーになりたかったですし、大学では広告デザインなどのグラフィックデザインも学んでいたため、その両方が活かせるのではないかと考えたからです。

当時の博報堂アイ・スタジオでの仕事は、博報堂からあがってくるウェブの構成を、ビジュアルデザインに仕上げるようなものが多かったのですが、私はワイヤーフレームなどの情報設計から関わりたい気持ちがあった。そんな私の気持ちに気づいたクリエイティブディレクターの方が声をかけてくださり、博報堂やクリエイティブエージェンシーに出向していました。そこでは、インタラクティブプランナーという肩書きで、広告の企画や映像制作、シナリオやキャンペーンの企画立案などを担当。出向していた時期もふくめ、5年ほど在籍しました。

All Turtles ビジュアルデザイナー 灰色ハイジさん
All Turtles ビジュアルデザイナー 灰色ハイジさん

クリエイティブエージェンシーでは、プロダクトの宣伝フェーズに関わることが多かったのですが、次第に「そのプロダクト自体を作りたい」という気持ちが強くなっていったんです。それが、インハウスのデザイナーになりたいと思うようになったきっかけでした。

その後、転職した会社は創業数年のスタートアップ。正社員としてだけではなく、副業などもできる柔軟さに魅力を感じたのが理由でした。私は週4日正社員として働きながら、残りの3日間でフリーランスとして仕事をこなすようになりました。正社員としてはアプリのUI/UXデザインを、フリーランスとしてはブランドデザインに関わることが多かったですね。

いきなりフリーランスとしての働きかたにフルコミットする自信もなかったため、正社員としての定期的な収入は安心感がありました。私にとってバランスの良い働きかたであり、良い経験をさせてもらえました。

ちょうど結婚をしたタイミングだったこともあり、こうした働きかたをしていたのは1年くらいです。夫はサンフランシスコで暮らしている“遠距離結婚”のような状態が続いていたのですが、一緒に暮らすために日本での仕事はすべて辞め、サンフランシスコに移りました。

ハイジさんが暮らすエリアにはギャラリーが点在している。
ハイジさんが暮らすエリアにはギャラリーが点在している。

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