[前編]なぜ富士フイルムはデザインに期待するのか センター長が語る、デザイナーを覚醒させた環境づくり

[前編]なぜ富士フイルムはデザインに期待するのか センター長が語る、デザイナーを覚醒させた環境づくり
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2024/11/08 08:00

 会社として過去最多となる27製品が「iFデザイン賞2024」を受賞。2024年度グッドデザイン賞では37製品が「グッドデザイン賞」を受賞し、企業としての受賞数は全受賞企業のなかでもトップ。かつ最多受賞は6年連続を記録。デザイン賞の記録からもわかるように、近年大きな存在感を示しているのが富士フイルムだ。フィルムの会社として知られていた同社だが、現在ではカメラや医療機器、複合機、化粧品など、現在では多岐にわたる製品やソリューションを展開。そんな富士フイルムで、約100名が所属するデザインセンターを率いているのが堀切和久さんだ。前編では、2024年に90周年を迎えた同社におけるデザインセンターの歴史や、デザイナーたちの拠点となる「CLAYスタジオ」誕生の裏側や思いなどについて話を聞いた。

スタートは約50年前 「工業デザイン室」から始まったデザインセンターの歴史

――まずは、デザインセンターの歴史からお聞かせください。

デザインセンターが生まれてから約50年が経ったところです。もともとは、カメラや医療機器などの事業部それぞれにデザイナーが所属していたのですが、少しずつメンバーも増えていき、「一ヵ所に集まろう」というとあるデザイナーの呼びかけのもと、現在のデザインセンターの前身となる「工業デザイン室」が東京本社のある西麻布に誕生しました。

スタート時は「工業デザイン室」でしたが、メンバーがさらに増えていき、組織名を「工業デザインセンター」に変更。僕が入社した1985年は、まだ工業デザインセンターでした。その後さらにグラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、インターフェースデザイナーなどさまざまな、デザイナーが集まり「デザインセンター」と改め現在に至ります。

社名も1985年当時は「富士写真フイルム」でしたが、2000年ごろにさまざまなものがデジタルに移行し、もれなくカメラもデジタルカメラに移行。それにともない、写真フィルムも激減していきました。今ふりかえっても、これが会社にとって大きな転換期だったように思います。それがきっかけで社名から「写真」を外し、「富士フイルム」に。デザイン部門の名称から「工業」を取り除いた「デザインセンター」と同じような変遷をたどっていたんです。

――富士フイルムの事業に、どのようにデザインが関わっているのですか?

富士フイルムというと「写真フィルム」のイメージを持っていた方も多いと思いますが、現在は医療機器からチェキ、カメラ、化粧品、マテリアル、ソリューションまで、幅広い領域に挑戦する会社になりました。それらの製品やサービスから、ブランド作り、技術や研究の可視化など見た目だけでは語れない、UI、UX、CXなどさまざまな価値や役割がデザインに求められるようになっていきました。

富士フイルム株式会社 執行役員 デザインセンター長 堀切和久さん
富士フイルム株式会社 執行役員 デザインセンター長 堀切和久さん

私は、さまざまな価値や思いを可視化するのがデザインだと思っています。こと富士フイルムでいえば、人や技術といった会社のアセットを使って、自分たちが考えたことを可視化していく、と言えるでしょうか。

ときには化粧品のような新しい分野の製品をつくったりもします。たとえば化粧品ブランド「アスタリフト」は、実は非常に写真との親和性が高い。写真の主原料であるコラーゲンは、アスタリフトの主原料でもあるからです。写真は工程のなかで銀をナノ化し粒子を小さくしていくのですがそれは化粧品も同じ。このように、写真の技術が漏れなく化粧品にも活きていることもあるわけです。カメラの会社が化粧品を開発していると言うと少々突飛に思えるかもしれませんが、我々にとっては違和感はありません。技術のアセットを活かした好例だと思っています。

ではそこにどのようにデザインが活きてくるのか。カメラや医療の事業であれば設計部や事業企画者とデザインが製品を作っていくわけですが、いつの頃からか多くの事業部の皆さんから「デザインありがとう」と言われるようになったんです。デザインの力が加わったことで頭の中のモヤモヤが形になり、それが製品やサービスにつながっていったからだと思います。

私が役員になったときの執行役員会議でさまざまな事業部長から、「この製品は設計とデザインで一緒に考えた」「デザインはすごい」「いいね」「デザインからの提案で魅力的な商品ができた」と口々に言われ驚きました。そういった「ありがとう」の声が、自分からでなく「周り」のメンバーから挙がることがとても大切なことだと感じています。その繰り返しが「CLAY」というデザインスタジオの開設に繋がっていったのだと思います。