社外からは「デザイナーを入れ替えた?」の声も デザイナーを覚醒させたスタジオの誕生
――2017年につくられたデザインセンターの新拠点「CLAY」というスタジオでは、何を成し遂げたかったのでしょうか。
フィルムの会社から、多岐にわたる製品やサービスを展開する企業へと変化していったことを受け、当時の経営層に「今、富士フイルム自体が変わっていっているから、『新しい富士フイルム』ごとデザインしたい」と大胆にも説明をしました。フィルムだけではなくさまざまな製品やソリューションを持っている会社だからこそ、それぞれに合ったデザインや製品、サービスの戦略が必要だと考えたからです。
そしてそれにはやはり、「デザインの可視化力」が不可欠だと確信していました。
「ときにデザインは、設計主導でできたものを、最後形にすることもある。ですが、そうやって下流にいてデザインをするのではなく、もっと上流にいき、スタート時から企画者や設計者と一緒に考えたい。だから下流から上流にいきたい」。当時とそのままに、こういった言葉で説明をしました。
デザイナーが加わることにより早い段階でビジュアルイメージがもてるようになると、なにか手直しをしたいと思った場合、上流だからこそやり直しもきくわけです。ですが下流にいると戻ることはできない。最初の段階からデザインが入ることで、早く形にすることもできるし、やり直しもしやすくなるのです。
そしてそのためには、「デザイナーが覚醒していく必要がある」ということも伝えました。デザイナーにはまだまだ隠された能力が眠っており、それをもっとモチベートし、眠っている力を覚醒させるべきだと。そのために、今までは本社のなかにあったデザインセンターを切り出し、純度が高いデザイン環境を用意するためにデザインスタジオをつくりたい。そう提案したのです。
経営層から返ってきた言葉は「やってみろ」でした。ただ納得してもらえたのは、今の説明以外にも理由があります。それは「デザイン賞の受賞」です。そのころからさまざまな製品がヒットしたり、デザインが機能し始めたことがわかる予兆のようなものがありました。そういったきっかけがあり、2017年に東京・西麻布に新拠点「CLAY STUDIO」が完成。すると見事に、デザイナーたちが覚醒したんです。自分たちのスタジオをもつことで、僕をふくめたほかのメンバーに良い影響を与えました。自分の職業への誇りをふくめ、眠っていた才能があふれ出てきたのです。
当時、「富士フイルムさんすごいですね、デザイナーを入れ替えたんですか?」「外部のデザインハウスと契約したんですか?」など周りからよく言われたんです。ですがもちろんそういったことはまったくない。いちばん嬉しかったのは、若手だけではなく、ベテランの人たちも覚醒され、さまざまなデザイン賞を受賞していったことですね。「こんな良いデザインをする人だったっけ?」と僕も思ったほどです。もともと経験も実力もあるメンバーが刺激を受けると、こんな力を発揮するのかと実感しました。