デザインとビジネスの関係は“もっと”深い カオナビ外部CDO玉木さんがこれまでのキャリアを振り返る

  • X
  • Facebook
  • note
  • hatena
  • Pocket
2024/12/23 08:00

「それを想像できないならやめろ」 根本的な間違いに気づいた瞬間とは

玉木 クライアントであった消費財メーカーから発売されたボディミストスプレーが日本を席巻しており、それを使って男女何人かがタイに行って恋をする、といった今で言う恋愛リアリティーショーの企画がありました。僕の担当は、ツアーのしおりや持ち物のデザインをすること。当時のデザインのやりかたは、まずネットや雑誌でかっこいいデザインを調べてムードボードを作ることから始めるスタイルだったので、このときもそれを壁一面に貼っていたら、上司にビリビリに破られてとても怒られたんです。

「それは時間の無駄だ。タイの島に行くのに、扇風機の横でランニングシャツを着た汗だくのおじさんが一生懸命Windows95やそこらのパソコン標準搭載のデザインソフトで内職しているシーンが思いつかないのか。それを想像できないならデザイナーやめろ。完成したものをムードボードに並べてそこから何をしようとしているんだ」と。

それが、自分のデザインの根本的な間違いに気づいた瞬間でした。良いデザインを模倣すれば良いのではなく、企画にあった世界観をどれだけ読み取るか、そしてそれを自分なりにどう表現するか。アートの要素や自分の哲学が反映されることがデザインなんだとものすごく言われたんです。

そこで僕は東急ハンズでベニヤ板を買い、表紙を作るためにのこぎりで切ったり、キリで穴を開けて、一晩中板を雨に打たせたり、わざとコーラをこぼして雑味を出したりしながら、全ページ手書きでしおりを作りました。それ以外にもそういったコンセプトでさまざまなグッズを制作。その結果クライアントからも「これじゃなきゃダメだ」と絶賛してもらえました。クライアントこそ、そういった世界観が詰まったものを求めていたんですよね。

手づくりのしおり
手づくりのしおり

諸石 当時のクリエイティブエージェンシーというと、あまり転職する人も多くなかった印象ですが、10年ほど渡り歩いたのち、立ち上げ初期だったAIベンチャー「Cogent Labs」に2015年に参画されますよね。スタートアップが盛り上がってきたころだったと思いますが、その時期にスタートアップでデザインをやるという選択をする人は少なかったと思います。なぜ早々にそういった選択をなさったのですか?

玉木 エージェンシーにいたころから、自分としては広告を一生やり続けることはないだろうと考えていました。デザインを広義な意味で捉えると、「広告」だけがデザインではないですし、ビジネス視点で考えるとデザインが発注されるプロセスは『森の中の木』であり、上流の視点は不透明な場合が多い。そういった経営側のブレーンに興味を持ったんです。そう考えたときに、成熟した企業ではなく成長期のスタートアップに身を投じることが近道だと思い、当時、10人くらいの規模だったCogent Labsに、ひとりめのデザイナーとして入社しました。

諸石 当時、こういったベンチャー企業がデザイナーを採用することは珍しかったと思いますが、課されていたのはどんなミッションだったのでしょうか。

株式会社ヒューリズム 取締役 COO 諸石真吾さん
株式会社ヒューリズム 取締役 COO 諸石真吾さん

玉木 当時は、世界中の有識者たちがその論文で学びたいと思うほど著名な博士たちが集まっていました。僕の仕事は、そんな頭の良い博士たちの考えを製品化すること、そして、その会社で売上を立てること。

そのため、いわゆるデザインをすれば良いだけではありません。スタートアップの一員として「売上をつくる」というレイヤーが加わるため、博士の考えを伝えるためにクライアント先や投資家に向けた説明資料を作ったり、考えていることを製品に落としたりといったことをしていました。しかもそれだけでなく、企業のユニークネスをつくるためのブランディングも行わなければならない。今振り返れば、そのミッションがいちばん大きかったように思います。