浸透施策で大切にしたのは「経営者の考えをひもとくこと」
――佐藤さんのご経歴や、現在のクリエイティブの体制について教えてください。
2012年に中途で入社し、アメーバなどメディア系のサービスのデザイナーをしていました。当時はスマホにシフトするタイミングで大量の技術者が入ってきていたため組織もあまりできあがっていなかったですし、20名規模だった組織がデザイナーだけでもいきなり100名くらいに増えたころでした。そういった組織づくりという文脈で、デザイン戦略室が代表である藤田の直下に作られたのがこの時期です。もともとゲーム、メディア、広告などが横並びになっていたのですが、それぞれが独立して動いていると統制をとることが難しかった。そこで、全社的にしっかりクリエイティブで勝負していこうというタイミングでデザイン戦略室ができ、そこに僕はメディアの代表として呼ばれました。藤田をトップにデザインの足並みを揃えていくための、最初の取り組みです。それが2013年ごろだと記憶しています。
私ももともと組織づくりをしていたわけではなく、前職の大手印刷会社ではデザイナーとしてクライアントワークを行っていました。ただ性分として、クリエイターが1の力を発揮するものづくりはもったいないと常々感じていたんです。
当時のサイバーエージェントは大量にデザイナーを採用し、ひとりがひとつのサービスを担当していたのですが、1サービスだと手が余ってしまうこともあるし、なかなかスキルも広がっていかないと前職のころから思っていました。そのためサイバーエージェントに入社してからは、自ら3~4つのサービスに携わるようにしていました。そういった形で取り組んでいると、全部をひとりでやるよりも、たくさんのデザイナーがいるからこそ、デザイナーの間で役割をわけながら取り組んだほうが質が上がっていくことを肌で感じたんです。
そんな思いから、デザイナーを引き上げるという意味でのサポートを近い場所から始めていったところ、いつの間にか大きな組織になっていました。
2015年にクリエイティブ統括室という組織になりましたが、僕の役割はそこまで変わらなかったです。2016年に、サイバーエージェントの執行役員に就任したことをきっかけに全社にも関わるようになっていました。もともと僕がメディアの責任者をしていましたが、藤田自身がメディアのトップでもあったため、僕との関係性も深かった。そのため振り返ってみると、僕はメディアのことに取り組んでいるつもりでも、藤田と一緒に進めると全社の施策になっていったり、ということは多かったように思います。
――パーパスの社内浸透施策を行うことになったきっかけは何だったのでしょうか。
年に2回行っている社員総会では、これまでにも半期の全社スローガンや重要な意思決定、新役員体制などを発表していましたが、2021年10月の総会で藤田の口からパーパスが初めて発表されました。直後にはSNS発信など社内外のざわつきが見みられた一方で、大半がオンラインでの参加だったこともあり、社員のリアクションをダイレクトに感じづらかったのではないかと思います。もともとサイバーエージェントは「21世紀を代表する会社を創る」をビジョンに掲げていたのですが、それはものすごい社内浸透率で、今では全社員が言えるようになりました。企業カルチャーの醸成は一朝一夕でできるものではないと藤田自身がいちばんわかっているからこそ、新たな会社の存在意義としてパーパスができたときに、浸透施策の必要性を感じていたのでしょう。
そんななか、まったく別のミーティングで藤田と話しているときに開口一番、「クリエイティブを活用してパーパスを浸透させるアイディアを考えてほしい」と言われたのが、パーパス浸透施策の始まりです。
――それを受け、どのようなステップで考えていかれたのですか?
藤田と一緒にクリエイティブ周りは考えることが多いのですが、決まったフレームワークがあるわけではありません。ただいちばん大切にするのは、経営の考えを紐とくこと。そのために、なぜ流行っていないと思うのか、どういう状態が理想なのかなどをヒアリングしていきます。
そこからは、クリエイティブのアイディアを考え、オンラインで藤田に確認し、目的からクリエイターと考えていきました。パーパスを流行らせるだけではなく、それを文化にしていかなければいけないですし、言語化された会社のパーパスを、自分たちのものなんだという立ち位置に変えてあげる必要がある。そのために経営が感じている課題に対して僕らが目的をつくったり、体系化していったりと、ひとつずつ情報を整理していきました。