留学で実感した「デザイン」のとらえかた
諸石(ヒューリズム) 実際に留学してみて、どんな部分に日本との違いは感じましたか?
鈴木(デジタル庁) スキル面は日本と大差はないと思いますし、日本のほうが優れているところもたくさんありました。ただ、さまざまな考えかたの人がいて、デザインに対するアプローチや背景にある動機、プレゼンテーションの仕方はまったく異なりましたね。
また、私はすでに日本の大学でデザインを学んでいたので周りより少しできる状態で入学したのですが、最初は自分の作品を日本語のように説明することができませんでした。異なる言語であるということはもちろん大きいですが、日本では、自分のデザインを言語化しなくても伝わることが多かったため、あまり言葉にする必要性を感じていなかったのですよね。ところが、言語や文化が異なると、今まで当たり前だと思っていた部分から説明しなければなりません。「どういう意図でこのデザインを作ったのか」を異なる言語で説明するという経験は、今にも活きているような気がします。
あとは、発信をしないと何も意見がない人だと思われてしまうという環境も大きく違いました。どんな文化でも受け入れる多様性に富んだ街ではあるものの、リアクションがない人のほうには誰も振り向かないため、環境としてはかなりドライですね。わからなければ尋ねにいき、きちんと理解した上で毎回授業に課題を持っていって、クラスメイトから意見をもらっていました。日本では当たり前にできていたことができないもどかしさのなかで、当時は生きていくことに必死でしたね。
諸石 留学中で、印象に残っている出来事や言葉などがあれば教えてください。
鈴木 私が通っていたのは社会人向けのコースだったため、皆さん働いていましたし、ミュージカルのアクターを目指しながら通っている人、フォトグラファーをしている人、金融の仕事をしている人などさまざまでした。
そんななか、現地で50年以上過ごされている日本人のシニアクリエイターの方に言われたのは「スキルはどこで学んでも良いけど、ニューヨークに来たのであればデザインでどうビジネスをするかを学んで帰りなさい。それがこの街のストロングポイントだから。」ということ。デザイン領域をビジネス化するのが上手い国だから、それを学びなさいと教えてもらいました。今もそこでもらった問いを持ちながら仕事をしている気がしますね。
また、英語圏の方にとっての「design」は、言語的にももともと存在する単語だからこそ、神格化しないし、ビジネスにおいて学術的になったり、表層に限定された話にならないのではと感じました。
語学学校でフォントやタイポグラフィの話をした際、あまり詳しくないかなと思い丁寧に説明をしたところ「そんなのみんな知ってるよ」という雰囲気になったことも衝撃でした。デザインの話題が、普通に受け入れられてしまったんですよね。そのときに、タイポグラフィしかり、ベースのリテラシーが違うことを痛感しました。現地では、言語や概念にデザインが浸透している度合いが非常に高い。一方、日本では生活にはかなり浸透していると思いますが、言語や概念におけるデザインは「美しさ」や「きれいに見せる」という視覚的な面で認識されていることが多い。デザインの話をすると「私はまったくの素人なので……」と一線を引かれることがよくありますが、英語圏ではそれがなく「俺もデザインできるよ」というスタンスなんですよね。この点はそれぞれの国の国民性にも関係するので、とても興味深いです。
日本文化には昔から似た概念はあるものの、「design」は日本人にとっては外来語であるため、明確に当てはまる概念がないんだと思うんですよね。英語を含めラテン語圏では、「design」の意味をそのままとらえることができますからね。概念を理解するという点でその違いは大きいのかもしれません。